小説

『弁当』沖原瑞恵(『桜桃』太宰治)

 僕は、たぶん父が誰かに言ってほしかったであろう言葉を口にする。我ながら、出来た息子である。父は、そうだ俺は悪くないんだと呟きながら立ち上がる。
「生きるために選んだ仕事が、いつの間にか仕事のために生きているようになっているというのは、何とも空しいもんだ。お前にはまだわからないだろうな」
 その通り、想像はできるが理解はできない。ただ一つわかっているのは、僕は母のように小言を言ったり、父のように愚痴をもらしたりする相手がいないということだ。寝室へ向かう父の白髪まじりの頭を見ながら、僕の髪も白くならないだろうかと思う。白くなってしまえば、きっと僕のような子供の苦労にも誰かが気が付いてくれる。

 翌日の昼、学校で開けた弁当には、きっちりと海苔の敷かれた飯と艶やかな煮豆、やや崩れた焼き魚に葉物の胡麻和えが詰められていた。我が家定番の弁当である。隣の席で同じく弁当箱を広げた友人が、小さな肉の塊を口に入れて顔をしかめた。
「まだ凍ってる」
 弁当が凍るほど今日は寒かっただろうかと僕が首を傾げていると、友人は肉にはあっと息を吹きかけて温め、言った。
「この冷凍食品、そのまま入れても食べる頃には溶けているっていうのが売りらしいんだけど、冬には向かないよな」
 考えてみれば僕は冷凍食品を食べたことがない。菓子さえ出来合いのものは買わず、父が値段よりも質を追求して調達した材料を、母が本を横目にせっせと混ぜ合わせ、焼いたり蒸したりしていた。改めて弁当箱を見下ろすと、今日は魚の焦げが目立つ。今朝は台所に立つ母の隣に珍しく父の姿もあり、無事に和解したのだと胸を撫で下ろしたのだが、どうやらその結果がこの微妙に粗のある弁当らしい。咀嚼した胡麻和えは水っぽく、お世辞にもおいしいとは言えないが、そこは親よりもわきまえがあると自負する子供である。噛んでは飲み込み、噛んでは飲み込み、帰ったら両親にうまかったと空の弁当箱を見せれば良いのだと考えている。生まれてから口にしてきた幾多の料理に込められたものを、ここへきてようやく知りながらも、鼻の奥につんとこみ上げるものを飲み下して呟く言葉はやはり、親よりも子が大事。

 

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