小説

『弁当』沖原瑞恵(『桜桃』太宰治)

 妹が先週、漢字の試験で赤点をとってきて、点数には少々うるさい我が家ではちょっとした騒ぎになった。母はそのことを言っている。
「先生と直接お話した方がいいんじゃないかしら」
「お前が聞いてくればいいだろう」
 父がむっとし、母が黙った。しばらく沈黙が続き、かちゃかちゃと父の食す音ばかりが空虚に響く。互いに言葉をこらえ、吹き出そうな感情を静めているのだと僕にはわかる。いつもならばこの後にどちらかが意見を曲げて折り合いをつけるのだが、どうやら今日は父も母もその気にならないらしい。まずいことになるかもしれないと予感した時、廊下の向こうから風呂の準備を整えた妹がやってくるのが見えた。
「私が話をしてきてもいいけれど」
 母が全く時を誤って再び声を発し、その声はしっかりと鋭い棘を含んでいて、僕はいよいよ焦る。
「あの子のことで先生と何を話しても、それに何を話さなくても、あなたは文句を言わないのね」
「俺が文句を言ったことが今まであったか」
「言葉にはしていなくても……」
 常日頃は互いに物静かで、少なくとも傍目には仲の悪くない夫婦である。だからこそ、一旦感情が吹き出し始めるとなかなか止まらない。
 僕はしだいに大きさを増す両親の言葉をかき消す程度には声を張り、しかしあくまで自然を装って、近づく妹に声をかけた。
「おう、風呂あいたぞ」
 居間の言い争いがぴたりと止む。妹は歩みを緩めないまま近づいてきて、怪訝な顔で僕を見上げた。
 

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