小説

『ネコソーゾクの兄弟』楠本龍一(『長靴を履いた猫』)

「つまり、俺が家をもらうってわけか」
次兄が言う。長兄がそうだと頷く。これにも俺は異論が無かったのですぐに頷いた。次兄は、長兄ほど真面目に勉強はしなかったが、その代わりいつも友人と楽しく騒いでいる人間で情に厚く人望があった。高校を卒業後も実家に住んで地元で働き、父親の体調がすぐれなくなってからは何くれとなく色々とサポートしていたのだから当然だろう。「しかし親父ともうこの家で酒を飲めないのかと思うと寂しいよなあ」次兄がちょっと鼻をすする。長兄が、次兄の肩を軽く叩き、それから遺言書の続きを読み上げる。
「三男には猫のボードリヤールを相続させる。以上」
長兄が、自分が読み上げた文面が信じられないとでも言いたげの怪訝な表情を上げ、俺と視線がかち合う。おっと……これには驚いた。猫のボードリヤールとは、この家で飼っている猫のことだ。浪人時代に予備校の国語講師に影響され哲学にかぶれた俺が、こんな大層な名前をつけてそれこそ猫可愛がりに可愛がってきた。大学進学後もこの猫に会うために2週に1ぺんは特急に乗って帰省していたくらいだ。だからボードリヤールのことは好きだが、しかしまだ東京で一人暮らしをしている大学生の俺に猫だけとは。長兄が咄嗟に遺言書を裏返して続きの文章がないか真剣に調べている。「以上」とはっきり書いてあったにも関わらず、裏に何か書いてあることを疑う程の注意力があったから長兄は東大に合格して、すぐに諦める粘りのない俺は東大に行けなかったんだろうな。いや、今はそんなこと考えている場合じゃないか。
「おいおいどういうことだよ」
次兄が長兄から遺言書をひったくり、すごい速さで目を上下させて文面を読む。「親父は何を考えてるんだ? 」俺達兄弟3人は、部屋に飾られた、作ったばかりの父の遺影を見つめた。もちろん遺影はものを言わない。
「いや、いいんだよ」
俺は二人の兄に向って言った。
 

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