一方の目撃者たるウサギはどこまでも自分本位の小者であった。彼は老婆のことが、老翁に知られれば、タヌキはおろか自分も危ないと考えたのである。タヌキは馬鹿がつくほどの正直者である。きっと老翁に問い詰められれば、我が身のことも言うに決まっている。ウサギがそう考えたのは想像に難くない。
しからば、ウサギはどうしたか。答えは簡単である。老婆の死を偽装しようと試みたのである。戸口より猛烈なる勢いでタヌキのところへとたどり着くと、ウサギはこうまくしたてた。
「かの老媼と老翁、まこと仲良き夫婦なり。而して、その片割れが失われたと聞けば、老翁哀しむこと限りなし。ここは罪ではあるけれど、黙して語らず、君が老媼に化けて振舞えば、老翁知らずして、元気に余生を過ごせること限りなし」
つまり、善なるタヌキの優しさにつけ込んで、妻を亡くしたことをおじいさんに悟らせぬように、おばあさんに化けてはくれぬか、とウサギは言ったのである。
心優しきタヌキは、ウサギの提案に心が散り散りになるほど悩んだ。嘘をつけば、老翁を悲しませず、だが、真実を言わねば老媼が草葉の陰で泣くのではないかと悩んだのだ。だが、結局のところ、タヌキはウサギの言葉を飲んだのである。それはひとえに、おじいさんを悲しませぬための承諾であったが、今回の事件においてタヌキの唯一の悪を上げるなら、この優しさであった。
タヌキから了解を取りつけるなり、ウサギはタヌキを一旦住処へと帰らせた。
なぜと聞いたタヌキに、このウサギ「君、これから幾年か、老媼として過ごせり。家族と最後の時間を過ごすべし」と、家族とのしばしの別れの時間をとってくる由を告げた。タヌキはこのウサギの優しさにむせび泣き、懇ろに礼を述べて、老翁の家を後にした。
まこと、激烈に卑怯なウサギである。
タヌキの去った家屋で、一人ウサギは老女の解体と血しぶきの掃除を行った。元の姿が分からぬほどに小さく切った老女を、大根とにんじんとを入れ、味噌で味をつけた鍋で、ともにとろとろに煮込んだのである。これが、悪名高いババア汁の真実である。汁をつくったのはタヌキにあらず、ウサギだったのである。