小説

『耐えろサトル』小野塚一成(『走れメロス』)

とはいえ、無視する訳にもいかない。悟の属していたラグビー部は県内屈指の強豪校として有名で、完全な体育会系なのだ。故に先輩は絶対的存在なのである。とりあえず一旦足を止め、挨拶をし、顔をこわばらせつつも相手の話を聞く。「誰それは今どうしている」だの「今度飲みに行こう」だの、梶原は一方的に話したいことを話し、悟は適当に相槌を打ったりするが、もちろん内容など頭に入らない。その間にも一歩一歩確実に、背筋を凍らせんばかりの奔流が背後から押し迫ってくる。
「このままでは駄目だ。」
悟は梶原の終わりの見えない会話に対し「すみません、今日は大学時代の友人のお通夜なので・・・」と嘘をつき、ほぼ無理やりに近い形で話を打ち切り、なんとかその場を離れることが出来た。
とにかく急がなければ。悟は毎日のようにこの駅を利用しているので、ある程度全体図は把握している。今進んでいる道を真っ直ぐ行って二本目の通路を右に曲がって、またもや真っ直ぐ行った突き当たり。そこにオアシスがある。そこまで行けばなんとか助かる。目的地までは普通に行けばあと数分もかからないはずだ。
だが、なんとしたことか、右に曲がるべき通路が工事のためにふさがれているではないか!一瞬絶望に目がくらむ。なぜなら他の通路を曲がると目的地まではやたら大回りになり、大幅なタイムロスを強いられるからだ。しかし途方にくれていても仕方がない。というよりも途方にくれる余裕すらない。もう小走りではいられない。こぼさぬように注意しつつ、走るしかない!
「大丈夫。大丈夫。」
走りながらも彼は自分に言い聞かせる。
「この程度のピンチ、今までだって何度も切り抜けてきたじゃないか。」「俺は耐えられる。俺なら出来る。俺は俺を信じている。」
ふと「これはまさに一人二役だな」という考えが彼の脳裏によぎった。「内情はともかく、目的に向かって走っている俺はまさしくメロスであり、さらにその走る俺をひたすらに信じる俺は、メロスであると同時に彼の友人、セリヌンティウスだな。」と。そう考えると己の間抜けすぎるメロス具合に、思わず自嘲を含んだ歪んだ薄ら笑いが自然とこぼれてくる。
 

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