小説

『観音になったチューすけの話』入江巽(狂言『仏師』)

四、二〇一五年一月十八日(日)、成人の日、笑い留めにてさようなら

 DJもやっているヒロキが今日のためにつくったトラック、春日八郎「お富さん」をサンプリングしたやつが、三十三間堂の中、ヒロキ持ち込みのスピーカーから、かなりの音量で鳴り始めた。これは、しびれをきらしたヒロキが、自分から動き出す「ろ案」の方で行け、との合図(「い案」は首尾よくばれた展開の案で、それはばれないからダメになった)。

いよいよこの瞬間が来た。いくで。動くで。やったんねん。眼をカッ、あけた。まぶし。

 「お富さん」のうち「生きていたとはお釈迦さまでも知らぬ仏のお富さん」の部分だけをサンプリングし、ドラムンベース調にリミックスした音楽が突然響いたので、堂内にいた見物のみんな、眼を丸くしたり、三角にしたりしながら、なんや! なんの騒ぎや! 言い、その中には外人の観光客のワッツゴーインオン? も混じっとった。今日は大的大会のせいか、いつもより朝から人、かなり多い。ずっと眼をつむっていたので空気の動きでしか感じられなかったそれ、長いこと閉じたせいですぐによくは見えないが、ぼんやり見え、人が多くてゾワゾワと興奮、これが武者震いやろか思うた。
 俺は「観音立像現在修復中」の看板がある二列後ろ、五段目に立っていた。一段そろりと降りる。看板を置く場所が左右に無かったので、それを持ったまま、右や左の観音に傷をつけぬよう、階段ゆっくり降りきった。そこに看板置き、キンナラオウ像とコンジキクジャクオウ像の間を抜け、見物客と仏像の間にある一メートルほどの仕切りの上に登り、立って叫んだ。ヒロキ、すぐそばで隠したカメラ、びったりと俺に向けてんのも見えた。
「まかりいでたるは、心もすぐにない者、スタチュのチューすけでございまする! 大阪は心斎橋よりきました! お騒がせしてえろうすいません! 拝ましやれい! 拝ましやれい! 」
 すぐに丸坊主の作務衣、何人もこちらに早足で近づいてくるのが見えたので、見物客いる回廊にドスンと降り立ち、肩にくっつけていた五鈷鈴など持つ手をかたどった飾りを捨て、頭上の十一面つきの冠もそこに捨てた。
 いくで、可能な限り走るで、ヒロキ言い、俺たちは入り口に向かって、人を押しのけながら走りだした。一時間近く微動だにしなかったあとはいつも体のどこかにしびれのようなものが残り、からだ動かしにくいのが常なのに、今日はピュンピュン走れた。走りながら「拝ましやれい! 拝ましやれい! 」叫び続けた。向こう、三十三間堂の庭では、スモモのよな二十歳の女の子たち、たわめた弓から矢をピュンピュン放っているはず。その弓の力が、俺の脚に味方してくれとるような気がした。いろんな機材つめこんだリュック背負ったヒロキもゼエゼエ俺の後から走ってくる。入り口抜け、眼を丸くしている人だかり押しのけかき分け三十三間堂の堂内を飛び出す。追いかけてくる丸坊主も、待たんかい! 誰かその観音つかまえてんか! いっこ逃げ出しよった! とわけわからんこと言いながら追ってくる。三十三間堂がある敷地の出口には警備員いてタックルかましてきたが、うまくかわせた。

 

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