小説

『となりの桜子さん』陰日向(『トイレの花子さん』)

「マジで? 今度は芸能人出てこねぇかな」
「それだったら最高ぉ」
 子供たちは、ふざけながらドアをノックした。
「花子さん」
「わ、た、し」
「えっ」
 予想外の言葉が返ってきたことに、子供たちは一瞬固まり、息を呑んでいるのが伝わって来た。
 よし、ここからが勝負だ。
 私は思い切ってドアを開けた。
「さ、く、ら、こ」
 花子さんと一緒に考えたように、髪を半分前に垂らし、うつむき加減に前を見る。
 ふふっ。さすがに怖いでしょ。
「ぶわっはははっ」
 しかし恐怖が一瞬で笑いに変わった。
「さっきの子か?」
「まだいたの?」
「なんて言ったっけ。さくらんぼさん? わはははっ。お疲れ」
 子供の一人が労うように、私に向かって手を上げながらトイレを出て行く。他の子供たちも後に続いて出て行った。
 子供たちは恐れることはもちろん、私の名前を記憶することもなかった。私は無言で悔しさを滲ませながら、その背中を見送った。
「柚子さーん、どうだったぁ?」
 となりのトイレから花子さんが顔を出した。その能天気な声に、私は殺気に満ちた視線で振り返った。
「いい加減、名前覚えろよ……」
 私の視線に気まずくなったのか、花子さんは軽く咳をすると、まじめな顔を向けてきた。
「ようやく本気になったようね」
「どういう意味ですか」
「私、あなたのお化け力を引き出すため、わざと名前を覚えていないフリをしてたの」
「信じられません」
「本当よ。この目を見て」
花子さんの瞳は、真剣そのものだった。
「花子さん……」
「分かってくれたようね。……さく……ら子さん?」
「今、完全に忘れてましたよね」
「そ、そ、そんなことはないわよ」
 私の疑いの視線から目を逸らし、花子さんは、誤魔化すように声を張った。

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