小説

『ご家老の気苦労』菊地フビオ(『目黒のさんま』)

「約束のとおりこの屋敷の者にはワシから厳しく言っておくが、今宵の席で膳を運び酌をとった女子の中には近隣の村から手伝いに来たものもおる。殿の発言を聞いたものがどれだけおるかわからんが、既に村に帰っているはずじゃ。それはどうする?」
「無論説き伏せるまで。名前と住まいを教えてくだされ」
 屋敷を出た三太夫は、お供の八五郎を置いていく勢いで歩き出した。
つい先日もこんな事があった。国の台所事情が厳しい事を知ってか知らずか、殿が三太夫の留守を見計らって町の古道具屋を江戸屋敷へ呼び出し、汚ならしいボロ太鼓を『これは国宝級の火焔太鼓じゃ』と三百両もの大金をはたいて購入して家臣を呆れさせた。案の定その国宝級の太鼓は現在物置でホコリを被っている。
他にも三太夫が国許を留守にしている間に、城中で殿しか勝てないルールの将棋を流行らせて家臣の不満を買った事もある。
(しかしいずれも身内の中での話よ。だが今回は違う)
「ご家老、気にしすぎですよ。殿の発言なぞ庶民はいちいち覚えちゃいませんよ」
 この先程から軽口ばかり叩く八五郎も殿の気まぐれの一つである。元々は庶民の出で、殿のお気に入りの側室であるお鶴の方の実兄である。
生来の怠け者で定職にもつかず、妹君の嫁入りの際に頂いた支度金二百両をすべて吉原で使い果たしたところを、見かねたお鶴の方の申し出でで士分に取立てられた。この一件以来《鶴の一声》なる表現が屋敷内でよく使われるようになっている。
鬱憤を晴らすような足取りのおかげで思ったよりも早く目的の家に着いた。三太夫は戸板に耳を寄せた。
『そういえばおとっちゃん聞いておくれよ。今日手伝いで行ったお屋敷にねぇ、赤井のお殿様がいらしてねぇ、そりゃもう傑作なんだけどさぁ・・・』
 三太夫はそれ見たことかと追いついた八五郎をジロリと睨みつけてから「ごめん」と訪いをいれた。

 
結局今日屋敷に手伝いに来た女子三人それぞれの家に行き、今宵の件について一切口外しないように約束(脅迫)を取り付け、帰路についたのは亥の刻(午後十時)であった。
「八五郎。なぜ鷹狩りの件、ワシに報告せんかった?」
 夜道、前を歩くでも後ろを歩くでもなく、もはや並んで歩いている八五郎は筆頭家老の横で大きな口を開けて欠伸をしている最中だった。
「だって報告したらご家老の事だから金也殿か他の者に責任を取らせるでしょう?」
「う、うむぅ」

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