小説

『ご家老の気苦労』菊地フビオ(『目黒のさんま』)

 金也とは殿の側小姓の名である。そもそも今回の一件も殿の気まぐれから始まったようで、思いつきでいきなり馬にまたがり鷹狩りに出かけた殿に非はあれど、突然の外出に対し弁当を拵える時間もなかった家臣に非があるわけがない。だが八五郎の言うとおり、いつも事が起きた時の三太夫の裁定は確かに殿寄りのものであった。
「細かい事情がわかればワシとていちいち責任など追求せん」
「でも鷹狩りの件をご家老に内緒にしようと言ったのは殿ご自身ですぞ」
「何?まことか」
「はい。ご家老の事だからいかに予定にない外出でも臨機応変に対応すべきが家臣たるものとか言い出しかねん、と。ですがあの日食べたさんまの味は忘れられなかったのでしょうな。それが今日の酒の席でポロっと口にでてしまったわけです」
「どれだけ美味かったんじゃ」
「私は食べ慣れていますがね。隠亡(おんぼう)焼きと言う庶民の調理法ですが、いや、調理といってもサンマを炭火に突っ込むだけですがね。でも殿は眼を輝かせて美味い美味いと食らいついておりましたよ。その顔を観て私を含め家臣一同すっかり嬉しくなりましてね。同時にいつも油っけのない薄味の料理ばかり食べさせられている殿が不憫に思えました」
 三太夫がジロリと睨むとさすがの八五郎も失言でした、と頭を下げた。
「でも家臣想いで心が優しく、皆に愛される良い殿ではありませんか」
 そんな事は三太夫にもわかっている。だが国を治める上で民や家臣に愛されるのと軽々しく見られるのではまったく意味合いが違ってくる。
「ご隠居殿も、村の娘どもも一応は大丈夫かと思うが、今後恥をかかんですむようにワシから殿にそれとなく説明しとくかの」
「何をですか?」
「目黒には海どころか魚河岸もないとな。お主、今わかっていて聞いたじゃろ?」
 隣を歩く八五郎であろう黒い影は小刻みに揺れていた。

 
 いく日か過ぎて、三太夫は八五郎をお供に町を歩いていた。その時に聞こえた棒手振りと客の会話である。
「らっしゃいらっしゃい。さんまが安いよ。油が乗ってる今が旬だよ」
「美味そうだな。どこで捕れたさんまだい?」
「それが旦那、美味いのは請負いますがね。残念な事に目黒のさんまじゃございやせんっ」
 棒手振りがテンポよく答えるとドッカーンと周りにいた人間も笑いだした。
(お~の~れぃ、誰じゃい。約束を破ったのは・・・これは赤井家の恥ぞ)
「まぁまぁご家老。人の噂も四十九日と言うではありませんか」
「それを言うなら七十五日じゃ」
 そうは言うものの、三太夫はこの時ばかりは八五郎の軽口に少し気持ちが救われた気がした。

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