小説

『海亀の憂鬱』泉谷幸子(『浦島太郎』)

――陸に着くと、太郎様はぱっとわたくしから飛び降り、周囲を見渡されました。わたくしにとっても3年ぶり、陸では800年ぶりの光景は、以前とくらべすっかり様変わりしておりました。まばらに遠く家々があるものの見渡すばかりの砂浜と野原だったところが、砂浜と田畑になって家はかなり浜近くまで建っておりました。冬であったためほとんど人影がなく、わたくしは波打ち際でとどまって様子をうかがっておりました。当然、太郎様の狼狽ぶりはただ事ではございません。ここは本当に自分の里か、と道行く人に問うと、そうだとのこと。自分はここに住んでいた浦島太郎という者だが、と話すと、そういえば大昔に漁に出かけたまま行方不明になったそんな名前の人がいたと聞く、その人を偲んでほら、そこに塚があるので見てみたら、と指差す方向に行ってみると、まさにそこには自分の名前を彫った古い塚があった・・・。
――太郎様の驚きはいかばかりでありましたでしょうか。塚に突っ伏し大声をあげて泣き崩れるお姿を、胸のつぶれる思いで見つめるしかできない我が身のなんともどかしいこと。この時あらためてわたくしは、罪の意識にさいなまれるようになったのでございます。そもそも乙姫様の命があったからとて、それに逆らうことができなかったわけではございませぬ。乙姫様の身勝手をなじる前に、太郎様の気づきの遅さを指摘する前に、自分の下心があったからこのような不幸な結果になったのではないか。ことの発端は、この年老いた亀が太郎様に恋心を寄せてしまったからではないか。嘆き悲しむ太郎様に、ただただ心の中で詫びるばかりでございました。
――しばらくしてふと太郎様は顔を上げられ、ぼんやりと遠くを眺めながら何事か考えを巡らせておられるようでございました。それはとても長く、長く、まるで目を開けたまま気を失っているのではないかと思うほど、長い時間でございました。そして次の瞬間、横に置いた玉手箱を取り上げ紅い紐を一気に解いたかと思うと、さっと蓋を開けたのでございます。螺鈿の蓋は、きらきらと銀色に青く紫に緑に美しく輝きながら宙を舞いました。箱から出た煙が太郎様を覆った瞬間、わたくしの目は涙であふれ、何も見えなくなってしまいました。そして太郎様は言葉を発しないまま、息絶えてしまわれたのでございます。
――嗚咽し、滂沱の涙を流しながら、わたくしは日が暮れるまでそこにとどまりました。そして暗くなってから月の光をたよりに浜に出、塚まで参りました。そこにはぼろぼろのわずかな布の切れ端と、風化した白い骨が落ちておりました。そしてふたたび涙にくれながら塚の下の土を掘り、布を敷き、骨をぱさりと落とし、土をかぶせました。その骨の軽さは人生のはかなさをひしひしと感じさせ、わたくしの罪の重さはより一層ずしりとのしかかるようでございました。

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