眠る彼女の横顔を見つめていた。もう何時間も。
「僕は君といるとおかしくなりそうだよ」
僕が呟いても、彼女は目を覚まさない。
このまま目を覚まさなかったら良いのに。
不意によぎった考えに僕は驚きもせず、ただ静かに苦笑した。
手にしているのは彫刻刀。こんなものでも簡単に人間の息の根は止めることができる。
なんて脆弱な生き物で、なんて傲慢な生き物なんだ。
僕は、僕を選んでくれない君が死ぬ場面を見たくないんだ。それで絶望したくないんだ。ならいっそ、今、僕が――
だって、君が僕に優しく笑いかけてくれるたびに、前は嬉しくて仕方がなかったのに、今はもうどす黒い感情しか出てこないんだ。
本当は君が好きで好きでたまらないのに、それだけなのに。どうしたって僕は人魚だから、永遠を選んでほしいと望んでしまう。
「君に会わなければ良かった」
口にしても気持ちは全然収まりがつかないままで、ただただ悲しいだけだった。
その年の冬の寒い日、彼女は最期まで苦しみながら亡くなった。はやく楽にしてあげたいという思いもあったし、永遠を選んでくれればすぐにでも自分の肉を食べさせた。案外、苦しい時の方こそ選んでくれるのではないかと期待はしていたけれど、彼女は決して許してくれなかった。
最期まで、苦しみと限りある生を選んで逝った。
次に会うときにはもう彼女はいないと分かりながらも、僕はそんな彼女の傍にいられなかった。そうしたら、次の朝には彼女は冷たくなっていた。
最後にした会話は、よく覚えていない。ずっと頭が痛くて、ぼおっとしていたから。
ただ、彼女は最後まで僕に謝っていた。
「約束、できなくてごめん」
僕の頬を優しく撫でてくれる。
違う。そんな言葉を聞きたかったんじゃない。
君が望めば、今すぐにでも。
自分の小指を彫刻刀で切り裂こうとしたら、その手を止められた。もう死んでもおかしくないほどに弱っているのに、その力だけは強かった。
「君に会えて、良かった」
にっこりと笑う彼女の笑顔が焼き付いて、離れない。
彼女には黙っていたけれど、毎日毎日彼女の様子を見に行くために、僕は薬をずっと飲んでいた。本当は三日間飲み続けたら大変なことになることも分かっていたけれど、彼女に会うため、彼女を説得できたらそれでいいと思っていたから、後のことなんて考えていられなかった。
でも、もう彼女はいないし、全部無駄だった。
気力だけで持っていた僕の体も、もうぼろぼろだ。
「僕は、人間になりたかった」
そうしたら、こんな思いをしなくてすんだのに。人魚だからとかそういうことを考えなくて、最期まで彼女を好きな気持ちだけでいられたのに。
頭が重い。体がだるい。ああ、もう倒れてしまう。
もういいや。彼女はいないし、どうとでもなれ。
気づけば僕の体は宙に浮いていた。