小説

『ガラスの靴を、シンデレラに』山本康仁(『シンデレラ』)

「そろそろ一緒に暮らすことも考えたほうが良いんじゃない?」
「大げさだよ、物忘れがちょっとひどくなったくらいで。年取ればみんなそんなもんだろ」
 サトルはもともと両親とあまり仲が良くなかった。裕福ではあるが規律の厳しい家庭に育ち、親の期待を束縛のように感じて生きてきた。就職先が地元に決まっても、実家より社員寮を選んだ理由もそれが大きい。親に頼ればそれだけ親の束縛を受ける。自分の力で生活すれば親にとやかく言われる必要はない。
 だからサトルは結婚式の費用も全て自分の貯金から出した。質素なものにはなったが、チカ子と相談して二人同意の上で挙げた式だった。結婚してからは郊外にマンションを借りた。子どもは二人。ノボルは今年大学に受かり、ミキは先日内定をもらったという明るい声を聞いたばかりだ。決して楽な生活ではなかったが、金銭面では特に、親に頼らなかったことがひとつサトルの自慢だった。
 アキエと一緒に暮らすことはサトルには想像できなかった。
 それにサトルは次男だった。子どもの頃から褒められるのは兄のアキラだった。親の期待に応え、学校や近所からも秀才と呼ばれ、いつも新しいものを買ってもらえる。サトルがもらうのはアキラのお古と両親からの「見習いなさい」という小言だった。
 アキエの面倒を看るならアキラがすればいい。都合の悪いときだけ自分に押し付けられるのはたまったものじゃない、それがサトルの本音だった。
「兄貴が帰ってくればな」
 サトルがぼやく。
「でも少なくとも後数年は向こうなんでしょ」
「あいつあのままアメリカ人になっちまうんじゃないか?」
 先月、出張で日本に数日滞在していたアキラの、電話越しに聞いた下手な日本語を思い出しながら、サトルはチカ子にその話し方を真似てみせた。二人は思わず声を上げて笑う。ぱた、ぱた、と音がして、アキエが顔を覗かせた。
「どうしたの、二人ともこんなところで」
二人につられてアキエも笑顔を作る。
「誰かいらしてたの?」
「ほらお義母さん。さっきお友だちが」
「あら、サトルのお友だち? 挨拶しなくて良かったかしら」
「いえ、お義母さんの」
 そう答えて、ちか子は自分の心臓が速くなるのを感じた。本当に覚えていないのだろうか。ついさっきのことなのに、まったく記憶にないのだろうか。そんなことがあり得るのか。ちらっとサトルに目を向けると、サトルの顔からも笑みはすっかり消えている。
「お義母さん、さっきお友だちとお話したの覚えてます・・・よね?」
 チカ子は出来る限り明るい口調で聞いてみた。
「あら、じゃあ挨拶したのね。嫌ね、年取ると忘れっぽくなっちゃうから」
 チカ子よりずっと明るい口調で答えると、アキエはぱた、ぱた、と音を立てながら廊下を戻っていった。

 施設に入れればいい。そう主張するサトルに同居を推したのはチカ子だった。部屋はある。時間もある。それにそうは言ってもサトルにとっては実の母親だ。知らない人に囲まれるよりアキエだって身内と一緒のほうが落ち着くだろう。自分が同じ立場になったらと考えると、チカ子はやはり自分の子どもに看てもらえるほうが嬉しいと思った。迷惑はかけるだろう。でも、自分がいったいいつどのように晒すか分からない老いの姿は、身内に助けられるほうが安心できた。
「何かあったら、すぐ施設にするから」
 いつ集めたのか、幾つかの施設の資料と申し込み用紙をフォルダーに戻しながら、サトルは最後に念を押した。

1 2 3 4 5 6 7 8