小説

『ガラスの靴を、シンデレラに』山本康仁(『シンデレラ』)

 チカ子はお店のドアを開ける。日当たりの良い店内には花瓶やお皿、ランプ、置物など、様々なガラス細工が並んでいる。奥からは誰かいるような作業の音が聞こえてくる。チカ子はカウンターに置かれた呼び鈴を押した。「はーい」と太い声がして男性が顔を覗かせる。
「さっき電話をいただいた・・・」
 チカ子がそこまで言うと、男性は一度姿を消し、大きな箱を持って現れた。
「初めての注文だったから時間がかかってしまいましてね」
 そう言って男性が箱から取り出したのはガラスで作られたフラットだった。
「靴としては履けないよって言ったんですけどね。記念だからって。『借りてる靴を娘さんに返すときにプレゼントしたいんです』って」
「借りてる靴・・・」
「そうこの靴」
 男性は片方だけのベージュのフラットをチカ子に見せた。なくなっていたもう片方のフラットだった。

 青い空に雲が点々と浮かんでいる。アキエが施設に入ってから一ヶ月ほどが経った。週に一度、チカ子は必ずアキエのところに顔を出している。アキエはやはりチカ子のことを覚えていない。「お義母さん」と呼びかけても、時々にこっと微笑み返すだけで、アキエはほとんど何も話さなかった。
 アキエの記憶にチカ子はもういないのだろうか。チカ子はふと思うことがあった。でもチカ子にとってアキエはまだそこにいる。玄関先に飾ったガラスの靴を見つめると、チカ子はアキエとの様々な出来事を思い出した。
 私はしっかりとお世話をした。
 チカ子にはとてもそうは思えなかった。唯一の救いは医者が最後に薬と一緒に渡してくれた「介護に正解はない」というひと言だった。
 チカ子はベージュのフラットを履く。自分の足にぴったりくる。マンションの鍵を閉めながら、「今私ができる、精一杯のことをするしかない」そうチカ子は思った。アキエとは今日はどんな話をしようか。そよ風がチカ子の髪を優しく梳かす。チカ子の足先は踊っている。

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