小説

『ガラスの靴を、シンデレラに』山本康仁(『シンデレラ』)

 ああっ、もうっ!チカ子の目元がぴくっと痙攣する。なだめるように、チカ子は自分の口にコーヒーを注いだ。そっとコップをテーブルに戻す。
「じゃあ、お義母さんの部屋に行って一緒に探しましょう」
 チカ子には自信があった。今日こそは、自信があった。
 これまでいったい幾つの置き場所を考えたことか。アキエの鞄の中、お気に入りの洋服のポケット、化粧台の一番下の引き出し。どこに置いても必ず次の日には「なくなった」、「盗られた」とやってくる。鍵つきの引き出しにしまったときは、その鍵自体をなくしてしまった。
 実際その場所に通帳はない。アキエが自分で勝手に場所を替えてしまうからだ。でも本人はそれを覚えていない。さんざん探し回り、ベッドの下、箪笥の引き出しの隙間、ゴミ箱の底にテープで貼られていたこともある。そして通帳が見つかると、アキエはとどめを刺すように、「チカ子さんが隠したの?」と聞くのが常だった。
 枕カバーなら問題ない。枕カバーは二重になっている。枕自体を覆う白い布と、それを含めて全てを包む花柄のカバー。通帳はその白い布の中だった。それに昨日、アキエと置き場所を決めたときには「枕カバー」ではなく、「枕の下」と伝えたのだ。だから枕の下にはもともと何もない。本当は昨日のうちに「なくなった」と騒ぎ出すかと思ったが、アキエは何も言ってこなかった。今初めて枕の下を見て、通帳がそこにないことに気づいたのだろう。
「チカ子さんが持ってるんでしょ? 返してくれない?」
 アキエが責めるような口調で言う。
「持ってません!」
 チカ子は勢いよく立ち上がった。自分でもどきっとするような大きな音を椅子が立てる。アキエはじっと座っている。
「だからお義母さんの部屋に行って探しましょう」
 今日こそは「昨日置いた」場所に通帳はある。絶対に私が「隠した」などとは言わせない。今日こそは私が正しいことを証明してやる。アキエを急かすように、チカ子はわざと大きな音を立てて椅子を戻した。すたすたと廊下へ向かって歩き出す。
 ドアノブに手を掛けて、「行きますよ!」とチカ子がアキエの背中を振り返ったときだった。
「そんな言い方、しなくたっていいじゃない」
 消え入りそうな声でアキエが言う。
「好きでなくしてるんじゃないんだもの。私だって本当に困ってるのよ」
 ドアノブを握る手に汗が滲んだ。飲み込んだ唾がちくちくしながら落ちていく。アキエの肩は小刻みに震えている。
「泣きたいのはこっちのほうよ!」
 噛みしめた唇が、チカ子の叫びを必死になって無音にとどめた。

 アキエがチカ子たちと一緒に住み始めたのは半年ほど前のことだった。
 義父が他界してから数年。友人が周りにいるからと、アキエは街中の大きな一戸建てにひとりで生活を続けていた。アキエの症状に気づいたのはその友人たちが最初だった。約束を忘れる。同じ話題を繰り返す。一緒に行った喫茶店でお代をもう一度払おうとしたとき、「もしかして」と思ったらしい。お正月の玄関先で、新年の挨拶に顔を出した友人の一人が帰り際にチカ子と夫のサトルに耳打ちした。
「電話ではそんな感じしなかったけどな」
 サトルが腑に落ちないというような声を出す。チカ子たちがアキエの家を訪れるのは年に一度だけ、それ以外の会話は全て電話越しだった。
「お義母さん、このままひとりで大丈夫かな」
 お客様用スリッパを片付けながらチカ子はサトルに尋ねる。

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