小説

『芋虫から生まれた少女』志田健治(『桃太郎』)

「怖い話し大嫌いなんだから、ほんともうやめて。責任とって面白い話して」
「面白い話? ええ……、ないよ、そんなの」
「バーテンダーなんでしょ!」
 確かにそうだが、侑は無口なタイプのバーテンダーだ。そこが売りだし、またそこが買われている。
「頼むから……ちょっとでも怖くなると、もうだめなの」
 子どもに懇願されたなら、大人は全力で応えなくてはいけない。誰が何と言おうと、それが全人類共通の使命だ。
「わかった。じゃあ昔話は?」そんなの絶対断られるな、と思いながら侑は聞く。
「いいね、昔話」芋虫がぴったり侑にくっつく。「普通のじゃ、いやだよ。おもしろいのにしてね。うんと笑えるの」
「よし」侑は咳払いする。「むかし、むかし、あるところに、お爺さんとお婆さんがいました……」
「だめ」琉音が止める。「ぜんぜんおもしろくない。いっつもお爺さんとお婆さんだよね。普通すぎる」
 手痛いな。昔話にとって、最初の一文は調子づけのようなものなのだと説明しても、この少女はわかってくれないだろう。子どもたちの娯楽の大部分を占めるものが、老人の語る昔話だった時代ならば「むかし、むかし……」が調子づく。語る側も聞く側も準備が整うのだ。だが昔話自体が珍しくなった現代では、調子づけもなにもあったものではない。長い間伝承され続けた節回しは、その偉大な力を失ってしまったのだろうか。侑自身にも祖父母が語ってくれた昔話の記憶がほとんどない。となれば、何か現代風に代用してもかまわないのではないか。侑の中でおぼろげな仮説が立てられた。
「琉音の家にはお爺さんとお婆さんいる?」
「いないよ。うちはパパとママと妹と猫とチワワがいる」
「じゃあこうしよう。むかし、むかし、あるところに、チワワと猫がいました」
「それおもしろい。続けて」琉音は笑う。
「ええと……、チワワは外におしっこを撒き散らしに出かけ、猫は日なたぼっこをしに外に出ました」
「うちのチワワあんまり散歩しないよ」
「そこはまあ、お話しだから割り切るしかないね」侑は続ける。「チワワがおしっこを撒き散らしている間、猫は川の辺りにいました。日当りの良い橋の上からのんびりと川を眺めていると、葉っぱが船のように流れてきました。葉っぱの上にはそれぞれ、お花が乗っていたり、小枝が乗っていたりしましたが、上流の方から、どんぶらこ、どんぶらこと、ひときわ大きな葉っぱが流れてきました。その上にはなんと巨大な芋虫が乗っていました」
「きもい!」

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