小説

『枯れ木の花』℃(『花咲かじいさん』)

 地図のコピー。公園及びその周辺の地図で、十数ヵ所が丸く塗りつぶされていた。どれも記憶にある。爺さんが落書きをしていった場所だ。橋のたもと、小学校の前、商店街、公園の中・・・・・・。今日見つけた三ヵ所も含まれている。
 爺さんの落書き現場は他にもあるが、塗りつぶされた場所には共通点があった。
 全て枯れ木の絵。
 そして、どの絵も消去を免れている。
 実は、オカモトさんは爺さんから前もって頼まれていたらしい。地図で記した場所の落書きを絶対に春まで残してくれるようにと。
 それは、遺言の前借りだった。私や野次馬たちの知らない、市にも内緒の、オカモトさんと爺さんの二人だけの秘密だった。
 爺さんは病院を抜け出しては落書きを続け、オカモトさんは約束を守った。
 枯れ木ばかり消されないのは怪しまれる、と考えたのだろう。爺さんは別の場所でも落書きをした。枯れ木を描いた。それに対して、オカモトさんは消去を命じる。何も知らない私は、「ざまあみろ」と思いながら、そんな落書きを消しまくってきた。
 木を隠すなら森の中に、ならぬ、枯れ木を隠すなら大量の落書きの中に。
 地図の上には、まだ塗りつぶされていない場所が一つ残っていた。丸印がつけてあるだけ。爺さんが倒れていた地点の少し先だった。
 あと一ヵ所。
 たぶん爺さんは悟っていたのだろう。
 今回がラストチャンス。
 だから、無理をした。一気に四つの落書きを描こうとした。
 でも、思いは届かず。医者の診断では、もう爺さんは歩くことさえままならないという。
 そこで、オカモトさんは一つの決断をした。私に秘密を話し、協力を頼んできた。
「残り一つの場所を守ってください」
 オカモトさんの言葉が耳に蘇ってくる。
 爺さんが新たな落書きをするのは絶望的な状況。でも、あの爺さんなら、意地でも最後の絵を描こうとするだろう。爺さんと戦ってきた私にはわかる。たとえ魂だけの存在になったとしても、残り一つの場所を目指すに違いない。
「だから、その時のために、別の落書きがあればすぐに消しておいてください。画伯にはまっさらのキャンバスを用意してあげたい」
 私は地図を畳むと、覚悟を決めた。この一ヵ所だけは、何が何でも模倣犯たちから守り抜いてみせる。
 そこは公園の中央。大きな桜の木がある、一番の人気スポットだった。

     ◆◇

 それから私は頻繁に、爺さんのお見舞いに行くようになった。
 毎回、模倣犯たちとの戦いの日々を報告する。
 ある時は、戦国合戦絵巻のように。
 ある時は、特撮怪獣映画のように。
 ある時は、SF宇宙戦争のように。
 かなり誇張して、私は語った。
 三日連続で、大規模掃討作戦を決行。見事、模倣犯たちの落書きを公園内から追放することに成功したが、奴らは近々、大々的な反攻作戦を計画しているらしい。でも、心配は無用。会社から最新の洗剤液を支給されたから、どんな落書きをされてもすぐに消せる。たとえ爺さんの落書きでもね、と締めくくる。
 これに対して、爺さんも話をしてくれる。ほとんどが愛妻か愛犬のこと。今日も妻との思い出話だった。

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