小説

『そして、笠地蔵』よしづきはじめ(『笠地蔵』)

「ええ、笠、笠はいらんかね」
 人出はまばらでしたが、お爺さんは声を張り上げながら、市を練り歩きました。人々はみな足早に辻を行き交い、笠に目をとめる者はおりませんでした。
「ええ、笠、笠はいらんかね。丈夫な編みだよ、編み笠だよ」
 とそのとき、近くを歩いていた商人風の男が話しかけてきました。
「おい、爺さんや。丈夫と言っても、鉄の玉は弾けまい」
 そういうとクックッと笑いました。
「何を言う。鉄の玉など降ってくるものか」
「知らんのか爺さん、東の国は鉄砲撃ちを大勢雇ったらしいぞ。鉄の玉が飛び交う中を、笠で歩けるものか」
 そう言えば、とお爺さんは村での噂を思い出しました。自分には関係のないことと、半ば忘れかけていたことです。お爺さんはたまらず言い返しました。
「しかし、わしら百姓が狙われることはないじゃろう」
「確かにわしらは良い。じゃが出歩くものなどごく僅か。侍相手に兜を売ったほうがよほど稼げるぞ」
 お爺さんは驚きました。
「兜じゃと?」
「そうよ。どうやら西に丈夫な兜が流れておるらしい。誰か知らんが、ぼろ儲けだろうさ」
「いくさ道具を売るとは、とんでもないやつじゃ」
「それがいくさってもんよ。まともなやり方じゃ、わしらとて生き残れまい」
 そう言うと男は笑って去っていきました。残されたお爺さんは、しばらく途方に暮れておりました。
「なんと空しいことじゃ。いくさに苦しみながらいくさの助けをするとは」
 結局、一つの笠も売れないまま、お爺さんは力なく元の道を帰っていきました。重たい気持ちに拍車をかけるように、来た時よりも雪は強くなっているようでした。

 
「おや?」
 ちょうど街道へと差し掛かろうかというとき、近くの茂みの中に人影があることに気づきました。それが侍たちであることが分かると、お爺さんは足を止めました。
「しもた。いくさじゃろうか」
 敵の姿はどこにも見えませんが、侍たちは藪の中からしきりに表を伺っています。
「ややっ!」
 よく見ると、似たような姿の侍が街道に倒れているのが分かります。
 お爺さんは思わず声を上げましたが、侍たちは目もくれません。じっとあさっての方向をにらんで息を潜めています。やがて、しびれを切らしたのでしょうか。仲間が止めるのも構わず、一人の侍が勢いよく駆け出していきました。

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