小説

『そして、笠地蔵』よしづきはじめ(『笠地蔵』)

 ふわふわと浮き立つ足取りが抜け道に消えていくのを、村人は黙って見送りました。
「これでよかったんじゃろうか」
 誰かがそう呟やきましたが、鳴り続ける太鼓と笛、そして乾いた山びこの音にかき消されてしまいました。

 
 翌日、将軍が家来一同を率いて村を訪れました。静かに雪の降る中、鎧兜を身にまとった馬上の姿は、堂々たる威厳がありました。
 お爺さんが、一団を出迎えて言いました。
「これは将軍さま。昨日はいかがでございましたか」
「うむ。お主らの働きで、敵をすっかり討ち果たすことができた。これでいくさも終えられよう」
「それは何よりでございます。これでわしらも安心して暮らせます」
 将軍は満足そうに頷くとお爺さんに言いました。
「お主が砦に来たときは何事かと思ったわい。百姓に知り合いはおらぬでな」
「お騒がせいたしまして」
「いやいや、そちから奴らの企みを聞かねば、今頃わしらは冷たくなっておったかもしれぬ。まさか西の兵が百姓の格好をして乗り込んでくるとは」
 お爺さんは黙って耳を傾けます。
「ましてお主らに道案内をさせるとはな。恐ろしいことを考えるものよ」
「しかし、そこを救ってくださったのが鉄砲撃ちの方々です」
「まこと、それよ。あの者らがおったゆえ、笠をかぶった侍どもを狙い撃つことができたというもの」
「おかげさまで村人はみな無事に帰れました」
「奴らも運が無い。あの様に一列では狙ってくれと言うもの。撃たれた端から面白いように落ちていったわ」
 将軍が愉快そうに肩を揺らすと、馬はニ、三歩たたらを踏みました。
「西の将軍め、奴が崖に落ちていくときの顔は忘れられん」
 黙り込むお爺さんのそばに、そっとお婆さんが寄り添いました。
「うん、いかがした? 顔色が優れぬようだが」
「いえ、死に事には慣れないもので、つい」
「これはすまん。しゃべりすぎたわ」
 将軍は姿勢を正すと、馬の首を西に向けました。
「おお、そうだ。失礼する前にひとつ聞きたいことがあるのだが」
 背中越しに将軍は口にしました。 
「あの日、他でもいくさがあったのか?」
 お爺さんはしばし間を置いて「存じませぬが」と首を振りました。
「そうか。いやなに、わしらの他にも鉄砲のような音がにぎやかだったのでな。おかげで仕事がやりやすかったわ」
「存じませぬが、きっと山びこでしょう」
 将軍は笑いながら手綱を握り直しました。
「ならば山の神に感謝せなばならんな」

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