小説

『眠れる森の』望一花(『眠れる森の美女』)

 深いため息をついたぐんちは、今にも泣き出しそうに見えた。
「ヒメ、ごめん。あんなサイトを教えてしまって後悔してる」
ぐんちは、姿勢を正して深々と頭を下げた。
「そういうの、やめてよ。自分でポチったんだからさ。でも、こうして待っててくれてありがとう。すごく嬉しいよ。朝からかなり戸惑っていたから」
途端に顔を上げたぐんちは、今度は怒っているようだ。
「冗談じゃないぜ。俺は7年間誰にも言えず、生きてきたんだ。その後悔と孤独をどうしてくれるんだよ!」
「えー、一応ごめん」
なんだか力が抜けてきて、むずむずと笑いがこみ上げてきた。二人でしばらく笑ったあと、コーヒーをおかわりして、私はぐんちの7年間を聞いた。
「3年後、俺は失った時間、経験を悔やんだ。すごく焦ったよ。しかもその時の俺は行きたくもない大学に、サボりながら通っていたんだ。でもそれは、愚痴ばかり言って、何も行動しなかった過去のおれのせいだ」
 ぐんちは話し始めた。成功するためとかでなく、毎日を生きることが明日を作るし、楽しいんだとわかったぐんちは、専門学校に通い、積極的に写真公募に作品を送り、落選してもめげなかったという。目標があって、何かすることがあって嬉しかった。毎日が貴重で、やっていることに無駄を感じなくなった。人の生き方も気にならくなった。気になることといえば、私のことだけだったそうだ。あのサイトの商品は、期間が1年単位だったから、
「毎年この頃になるとヒメが帰ってくるんじゃないかと、そわそわしてさ。最初は、半信半疑だったんだけど、そのうちヒメはスキップしたと確信するようになっちゃってさ。あれはなんだろうね。同じ犯罪者の匂いっていうか・・・」
とぐんちは、悪ぶった表情で口角を上げた。
「ちょっと!」
少し声が大きくなった。
「やっぱり、ヒメはやっちまったんだなぁ。しかも10年。長いよなぁ。これからが、たいへんだな」
隣のテーブルの二人が、恐るように私たちを盗み見している。私たちはムショ帰りじゃないです・・・
「そろそろ出ようよ」
私は、隣のテーブルに背を向けてぐんちの腕を引っ張った。

 人気だという焼き鳥屋の店内は、10年の間に進んだ禁煙ブームでタバコの煙はないものの、あらゆる匂いが充満していた。私は、それほどお酒が強い大人にはなれなかった。残念。
「よ。遅れたかな?」
スーツ姿のカートが、重そうなビジネスバックを置きながら、私の前に座った。今日もすっかりくたびれた空気を背負ってる。
「ううん、ぐんちも私も今さっききたところ。生ビールにする?」
「おう、そうだな。しかし、ヒメとぐんちと3人で飲むなんて初めてだな」
とカートが言う。
「うん、こんな日が来るなんて。カートとお店で向かい合わせに座るなんてさ」
そわそわと答えると、隣に座っているぐんちが私の足を蹴った。
「なに?」
ぐんちは私をにらんで、困惑の表情で、
「今更、高校生みたいなこというな」
と、目に物言わせて低い声をだした。私は怯まず続けた。
「やっぱりカートはカートだね」
カートは上目遣いに私をちらりと見て苦笑した。そしてぐんちのほうへ話しかけた。
「あれからいろいろ揉めたけど、俺、離婚したよ。子供も嫁さんの実家の近くに転校した。それ以来ずっと会ってないよ」
とカートは、言った。
「嫁さんは神戸の人だったよな」
どうやらぐんちは、長いあいだ相談に乗っていたようだ。二人はずっと親友なんだね。
私は何も言えず、水菜とじゃこのサラダをむしゃむしゃ食べ続けた。
「ひとりで食べ過ぎなんだよ」
ぐんちが、重い空気を追い払うように言った。
「これ美味しいね。居酒屋って美味しいものいっぱいだね。あっ、ということは、カートは、フリーということですね? チャンスがついに来たのか?」
私は、軽い口調で言ってみた。
「おれのモテキは高校がピークだったなぁ。あとは下るばかりだよ」
カートは私のおふざけにはのらず、ふっと優しくそして淋しく笑った。私はうつむくカートをたっぷり3秒は見つめた。カートは何も変わっていなかった。ただまとっている空気が変わっただけだった。
「モテキねぇ」
ぐんちは自分のことでも考えたのだろうか、ぼんやりと答えた。

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