小説

『サルの夢』山本康仁(『猿蟹合戦』)

 チャイムが鳴っても席についてない人がいたときも、花係りが水を替えるのを忘れて、教室の花瓶の花を枯らしたときも、自習の時間がナナっぺと男子のせいで騒がしかったときも、全てみんなの責任だった。学級会が開かれて、みんなが原稿用紙三枚以上、反省文を書かないといけなかった。
 もう誰も劇の準備なんかしていなかった。じっとそこに立って、一人教室を忙しそうに動き回るりくちゃんを見つめている。廊下側に立った男子がときどき、心配そうに顔を出して、廊下の様子をうかがっていた。小島先生の足音は、今にも聞こえてきそうだった。
「あ、あった!」
 そのときだった。りくちゃんが大きな声を出した。指先に絵の具をつまんで、みんなに見えるように上に掲げる。
 同時に廊下から、バタバタと足音が聞こえてきた。小島先生と、役者のみんなだった。
「どうしたんですか」
 もう既に怒ったような先生の声に、私の心臓はビクッと震えた。
「何があったの」
 先生がみんなの顔を見渡す。私は思わず下を向いた。それから、りくちゃんの声が聞こえてきた。
「もう見つかりました。松葉さんの絵の具が、ないと思ってたけどありました」
 りくちゃんは頭が良かった。「盗った」なんて使わなかった。「なくなった」とも言わなかった。「ないと思ってた」と、まるで勘違いしていたかのように明るく言った。私たちはほっとした。これで本当のことは先生にばれない。学級会もない、反省文もない、みんな悪くない。それで良かった。
 私はちらっと先生のほうを見た。先生はまだ真面目な顔をしていた。でもそれ以上、誰にも何も聞かなかった。
 それから小島先生は役者のみんなと、音楽室へ戻っていった。「良かったあ」と教室に残ったみんなは小さな声で笑顔を浮かべた。りくちゃんがやってきて、松葉さんに水色の絵の具を渡す。絵の具には、大きな文字で「松葉」と書かれていた。「良かったね」と私が言うと、松葉さんはただこくっとうなづいて、その絵の具を自分の絵の具セットに戻した。松葉さんの綺麗な絵の具セットには、他のどの色にも「松葉」なんて書かれてなかった。
「どこにあったんだよ!」
 先生の存在が完全に教室から消えると、自分の絵の具入れを疑われた男子がりくちゃんに怒鳴った。もう一度教室は静かになる。りくちゃんは黙って、サルの机を指した。

 サルが松葉さんの絵の具を盗ったことは、クラス全員の間に広がった。そこにいなかった役者の人たちにも、りくちゃんがナナっぺに話して、そこからみんなに伝わった。知らなかったのはきっと、小島先生とサルだけだった。
 サルの悪い噂は、その頃から色々出てくるようになった。下級生にお金を出させて、帰り道に買い食いしているらしかった。「山根商店に入るところを見た」と誰かが言っていた。自転車に乗って、校区外へ出ていくのを見た人もいた。カナエちゃんの体育館シューズが黒く汚れていて、カナエちゃんの靴箱はサルの靴箱の隣だった。
 休み時間になると、ナナっぺとりくちゃんの周りにはいつも何人か女子が集まって、新しいサルの話を報告した。ひそひそ話しながら、ときどき「嘘ぉ!?」と声を揃えて、そのたびに私の後ろの席に視線を向ける。まるで私が見られているみたいだった。だから私は休み時間になると、自分の席を離れるようになった。男子はもう下校時間になっても、サルの帽子を取らなくなった。

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