小説

『サルの夢』山本康仁(『猿蟹合戦』)

 サルはあっという間に人気者になった。
 みんなと違うランドセルだった。みんなの見たこともない文房具を持っていた。みんなと模様の異なる体操服だった。色の違うブルマが可愛く見えた。サルが以前いた場所の話を、私たちはまるで外国の話のように楽しんだ。小さな学校では、噂はあっという間に広がっていく。休み時間になると、他の学年の生徒もやってきてサルの机を囲んだ。サルの傍に座っていた私は、よく他の人に席を譲っていた。
 女子だけじゃない。男子はサルに夢中だった。ナナっぺやりくちゃんが「もうやめなよ」と注意するのも無視して、何度も何度もサルにサルのものまねをリクエストした。困ったような顔をしながら、でもそのたびにサルはサルのものまねをした。
 下校の時間になると、男子はまっさきにサルの帽子をとった。私たちの学校には制服なんてなかったけど、サルが前にいた学校では、みんなが制服を着て、紺の帽子を被っていたらしい。サルは制服こそ着てこなかったが、その帽子はいつも被って登下校した。
 サルの帽子を奪って、男子が廊下を走っていく。「返して!」と笑いながらサルが追いかける。「最近廊下を走る人が多い」と誰かが意見箱に入れて、学級会で「廊下を走らない」が今学期の目標に追加されたのはその頃だった。

 松葉さんという女子が、私たちの教室にはいた。背も声も、誰よりも小さくて、病気がちの人で、いつもマスクをつけていた。一週間くらい学校を休むことも時々あって、だから一人だけあだ名もなかった。みんな「松葉さん」といつも苗字で呼んでいた。
 松葉さんの絵の具の水色がなくなったのは、文化祭の準備をしているときだった。松葉さんは私と同じ大道具の係りで、劇の背景で使う空を塗ろうとしていた。松葉さんの絵の具入れはほとんど使われてなくて、二本並んだ白色も、まだ綺麗に残っていた。十四色セットの絵の具の中で、まるで前歯が抜けたように、水色の場所だけが空いていた。
 松葉さんは何も言わなかった。ただじっとして、なくなった絵の具を見つめている。大道具のリーダーだったりくちゃんが声を掛けると、松葉さんはようやく水色がないと答えた。予備の絵の具は小島先生が用意してくれていた。自分の分を使い切ったら、先生が持ってきたものを使えば良かった。私たちは松葉さんに新しい水色を渡して、それでこの問題は終わるはずだった。
 でもりくちゃんは、それで終わりにしなかった。
 誰が盗ったの?と教室にいるみんなに質問した。その時教室には、役者の人だけがいなくて、他の生徒はみんないた。役者の人は音楽室で、小島先生と一緒に台詞の練習をしていたのだ。どうしたの?とみんなの視線がりくちゃんに集まる。
 りくちゃんはまず、大道具のみんなの絵の具入れをチェックした。もちろん私の絵の具入れも検査した。大道具の人の疑惑が晴れると、次に他の人の絵の具入れを調べ始めた。「何で俺の調べるんだよ」と男子が騒ぐ。「みんなの見ないと分かんないでしょ」とりくちゃんが返す。「勝手に見るなよ」と、教室はたちまち騒がしくなった。数名の女子が先生を呼びに教室を出ていった。
 先生に知られるのが、私は一番嫌だった。きっとみんな同じ気持ちだった。先生にばれたら、また学級会が開かれて、結局やったのが誰であってもみんなが反省文を書かされる。掃除を怠けていた男子のときもそうだった。悪いのはサボっていた男子だけじゃなくて、それを注意しなかったみんなの責任だった。

1 2 3 4 5