小説

『オオカミの白い手』こゆうた(『オオカミと七匹の子ヤギ』)

「あなた、名前は?」
「相原美和と云います。隣の駐車場の横のコーポに越してきたばかりなんです」
「そう。ご近所さんなのね。だったら暇な時にまた来てちょうだいな。あたくし、毎日退屈で死にそうなのよ」
 会話の合い間に都さんは何度かわたしを誘ったが、わたしは「はあ」と曖昧な返事をくり返した。今日は偶然顔を合わせてしまっただけで、再びここを訪れる理由などないように思えたからだ。
 ごまかすようにわたしはマロングラッセに手を伸ばした。高級そうな包み紙を破り、口に放り込んだ。石のように固かった。吐き出す訳にもいかず、もごもごと口の中で溶かしながら少しずつ奥歯で崩していく。わたしが一個のマロングラッセに手こずっている間に、都さんはすでに五個も平らげてしまっていた。
 ガラスの器に残った最後のひとつを掴みあげると、「これはあたくしのぶん」と云って、都さんは獣みたいに大きく口を開けた。

 お向かいの部屋のチャイムが鳴るのを夢うつつで聞きながら、わたしはベッドで横になっていた。昼夜逆転の生活を改めはじめたとはいえ、それでも昼ごろまではついだらだらしてしまう。ごろごろ寝転がっていたわたしは、次の瞬間ベッドから飛び起きた。隣の部屋から尋常でない赤ん坊の泣き声が聞こえたからだった。
 すぐにわたしの部屋のチャイムが鳴った。
 ドアを開けてわたしは驚き、そして納得した。火のついたような赤ん坊の泣き声の原因がそこに立っていたのだ。
「部屋を間違えちゃったわ」
 都さんはけろりとした顔で肩をすくめた。お向かいからは懸命にわが子をなだめる母親の声が聞こえる。ひょっとしたらトラウマになったかもしれないと思うと、ちょっと気の毒になった。
「美和ちゃん、暇でしょ」
 断定的なもの云いで都さんはわたしを見た。起き抜けの顔にぼさぼさ頭、寝巻きと兼用のスウェット姿を見られては忙しいとはとても云い出せなかった。何をしにきたのかと思えば、買いものの誘いだった。
「ね、暇ならつきあってよ」
「はあ」
 わたしは都さんに見られないようため息をついた。
 しぶしぶ服を着がえてから連れ立ってバスに乗る。バスに乗って外出すること自体すごく久しぶりのことなのだと都さんは車中で声を弾ませた。並んで座ったわたしは当然のことながら、同じバスに居合わせた人々の視線が気になって仕方なかった。都さんの奇抜な化粧やファッションが人目を引くのは判り切っていたが、やはり落ち着かない気持ちだった。都さんは気づいているのかいないのか全く動じる気配もなく、流れ去る風景を指さしてはわたしにあれこれ話しかけた。

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