小説

『オオカミの白い手』こゆうた(『オオカミと七匹の子ヤギ』)

 帰り道はわざとゆっくり歩いた。
 たまには陽の光を浴びるのも悪くなかった。穴ぐらに閉じこもるような生活を続けている自分がうしろめたい。どうにかしなくては、と考えてはいるのだが、なかなか新しい自分を見つけることができないでいた。
 屋敷の庭が目に入ると、わたしは無意識に白い帽子を探しはじめた。さすがにもういる筈もないだろうと苦笑する。
「そんなところから見ていては駄目よ」
 ふいに声をかけられ、わたしは驚いて身体を反らせた。意外にも声は近かった。
「そこじゃあ駄目だったら」
 微妙にニュアンスを変えてくり返す相手を、わたしは呆然と見返した。まるでヘビに睨まれたカエルだ。身体がすくんで動けない。それはすぐ目の前に立っている女性の、あまりといえばあまりな容姿のせいだった。
 厚く塗り重ねられた白粉。歌舞伎役者のように濃い紫色で隈取った目元。まっ赤な口紅がはみだした唇。まるでピエロの化け物みたいな化粧だった。
「あの……」
 やっとかすれた声を出し、わたしはもう一歩あとずさった。
「ごめんなさい。勝手にお庭をじろじろ見たりして……」
 わたしの言葉に反応して女性の顔にみるみる皺が寄る。目元から口元にかけて放射線状に何本も皺が現れた。同時に厚塗りの白い面に細かなひびが入り、粉が舞った。怒らせたに違いない。わたしは恐怖に目を見開いたまま、ますますすくみ上がってしまった。
「そんなところで見てないで。さあさあ中へどうぞ」
「………」
 きらきらと白い粉をまき散らしながら、女性の顔がますます歪む。笑ったのだとやっと判った。
 ペンキの剥げかけた白い柵の続きにある緑色の門がゆっくりと開かれる。門の色ととんがり屋根の色は同じだった。救いを求めるように見上げても、風見鶏はいつものようにそっぽを向いているだけだった。
 わたしはあきらめて前を向いた。視線の先には白い大きな帽子を片手に、踝まである白いレースのワンピースを着た年配の女性が立っている。まっしろな顔にこわいほどの満面の笑みを浮かべ、客人を招き入れるために。
 よく判らない脱力感に襲われたわたしは、何かに操られるようにふらふらと門の中に入っていった。玄関脇までびっしりと群生している白いバラに何気なく目を向ける。
「……キレイデスネ」
 機械的に口が動いた。
「ありがとう。あたくしの自慢の庭なの」
 女性はしゃがれた声で嬉しそうに云った。確かに自慢の庭なのだろう。花はいつまでもうつくしく咲き続け、濃い緑色の葉は枯れることはない。それもそうだ。
 ここにあるバラはすべて造花なのだから。

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