小説

『カウンツ』こがめみく(『番町皿屋敷』)

「レコードをちゃんと好きだったことなんか、一度もないんだ」
 私は、キクさんの言葉にじっと耳を傾ける。
「レコードだけじゃない。僕は、何かを好きだとか、何かを失いたくないとか、そういう気持ちになったことが、今まで生きてきて一度もない」
 キクさんは、数えていたレコードに目を遣った。キクさんの指の腹が、ジャケットの表面を数回往復する。
「自分は人間じゃないのかもしれないとか、人間だとしても死んでるんじゃないかとか、そんなことを考えた。……でも、レコードを集めはじめて、僕は救われたんだ。レコードのことを考えているときは、自分が死人みたいにどんどん冷めきっていくことを忘れていられた」
 キクさんが、私の方を振り返る。
「……レコードを集めていたのは、レコードを好きだからじゃない。自分のためだよ」
「……キクさん」
 やっと捉えられたかと思ったキクさんの目は、すぐにまた伏せられてしまった。
「僕はきっと欠陥品の人間なんだ。……レコードをすべて欠けることなく集められたら、僕に欠けたものも見つかるんじゃないか、とか。そう思ってたのかもしれないね」
 でも、とキクさんが続ける。
「欠番は欠番だ。もともと欠けてるものが見つかることはないんだって、今わかったよ」
 少しの間があき、キクさんが言う。
「欠陥品に、人を愛する資格はない。……こんな手垢のついたような言いまわしじゃ、君に笑われちゃうかもしれないね」
 でも本当のことだ、と、キクさんは呟いた。

 無慈悲な沈黙が、部屋中を支配する。

「……僕は」
 やっとのことで沈黙を破ったキクさんの声は、今にも消え入りそうに弱々しかった。
「僕はどうすればいい」

 
「……だめでしょうか」
 意識するよりも前に、言葉が出ていた。
「なにか欠けてるのが、そんなにだめなことでしょうか」
「……誉ちゃん?」
 キクさんの声が発する私の名前を聞きながら、私は彼の方へ近づいていった。彼が数えていたレコードのなかから、ひとつを手に取る。
 戸惑ったような表情の彼を、何も言わずに見つめ返した。
 この部屋の片隅には、レコードプレイヤーが置かれている。手に取ったレコードを携え、私はまっすぐにそちらへ向かった。
 レコードをターンテーブルに固定する。アームをそっと降ろすと、針がレコード盤に落ちた。ボリュームを少しずつ上げる。
 音が、確かな質感を持って紡がれてゆく。空気の細かな振動を感じる。昔父の部屋でレコードを聴いたときから、ずっと変わらない感覚だった。

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