小説

『カウンツ』こがめみく(『番町皿屋敷』)

 キクさん、私たちもう一緒に暮らして六年になります――頭のなかで何度も繰り返した言葉を、なぞるように声にしてゆく。
「はじめは、ただの店員で。でも一緒に暮らすようになって。それでもう六年たちます」
 キクさんは黙ったまま、私の次の言葉を待っているようだった。
「今の時代、女のほうからもありかな、なんて」
 鏡が欲しい。とってつけたような笑顔になっていないだろうか。
「……誉ちゃん、僕」
「すいません、別にそんな重いやつじゃないので。あの、プレゼントです。よければなんですけど」
 私は、自分でも驚くほど早口でそう言い、その場を立ち去った。
 キクさんは優しい。彼が私を傷つけるようなことを言うわけがない。
 それでも何故だか、これ以上キクさんの前でうまく呼吸出来そうになかった。

 六年間にわたって私たち二人を結び付けてきた、キクさんとの長い対話。大きなドラマはなくとも柔らかな時間を紡ぎ続けてきたその対話に、緩慢さを感じやるせなさを覚えるようになったのは、いつ頃からだろう。
 行き先もなく、発せられては宙に浮くばかりの言葉たちのなかに、それらを秩序立てる何らかの符号を投げ入れる。そう決めたのは確かに私自身だったけれど、自分が打とうとしているものが終止符であるかもしれないと気づき、ふと怖くてたまらなくなった。

 夜がやってくる。
 いつものように、キクさんの生霊の声が聞こえた。生霊が口にするのは、とあるジャズレーベルの、名シリーズのレコード番号である。私が生霊の声に気づいたときから、今まで変わることはない。また同じところで一度声が途絶え、悲痛な叫びが響く。
 今日の生霊の声には、いつにもまして悲愴感や切迫感が滲み出ているような気がした。もし、キクさん本人の心理状態が生霊にも多少影響するのであれば、今日のことが、良い意味であれ悪い意味であれ彼の心を少しは揺らすことが出来たということだろうか。
 生霊にもすがるほど、私は思いつめているらしかった。

 
 翌日。
 キクさんには指が一本なかった。
 驚いて目をこすり、もう一度彼の指を見る。指はちゃんとある。ないのは指輪だけだった。
 瞳に映る何もまとわないままのキクさんの指を、視覚中枢が感知するのを拒否したらしい。自分がこんなに思い込みの激しい女だとは知らなかった。
 作業をしているキクさんの顔を見る。キクさんはいつもどおりの柔らかな微笑みをたたえていた。
 昨日までと何ら変わらない、身に馴染みきってだれるような空気が流れた。
 終止符を打つことさえ、私にはかなわない。

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