小説

『吾輩は亀であった』じゃいがも(『吾輩は猫である』 夏目漱石、『浦島太郎』)

大虎と化した太郎は、踊り子達を大声で罵り、足蹴にし、着物を剥ぎ取り乱暴の限りを尽くした。
側にいた乙姫様も、高笑いしながら手を叩いて囃し立てた。
それからすぐに、太郎と乙姫様は、寝所へと消えた。
普通ならば、一刻もしないうちに寝所から若者が飛び度してくるのだが、太郎は違った。
一時あまり寝所で乙姫様と事を楽しみ、恍惚の表情で宴会場へと戻ってきたのだ。
その後も太郎と乙姫様は、酒を飲んでは寝所へ移り、事が済んだら酒を飲みを繰り返し、気が付けば実に三年もの月日が流れていた。
その頃になると、乙姫様の方が太郎に飽きてしまい、太郎に対する扱いもぞんざいになっていた。
次第にお二人は衝突する事が多くなり、ついに太郎は地上へ帰ると言い出した。
乙姫様は、これ幸いと、太郎に玉手箱を手渡し、吾輩に太郎を元の浜辺へと送り届けるよう命じた。
太郎を無事に送り届けた吾輩は、竜宮城へ帰ろうと砂浜を波打ち際へと歩き出した。
その時、太郎が「おい」と吾輩を呼び止めた。
吾輩が振り返った瞬間、吾輩の目の前は真っ白になった。
太郎が、吾輩に向けて玉手箱を開けたのだ。
吾輩はみるみるうちに年を取り、あっという間に老亀になってしまった。

「はははは!あの性悪女め。やはり土産は罠であったか。この太郎様が、この様な陳腐な罠にかかるとでも思うたか」

太郎は高笑いしながら、吾輩の尻を蹴り上げた。
その瞬間、吾輩の身体に更なる変化が起こった。
みるみるうちに身体が伸び、甲羅は消え、吾輩はまるで大蛇の様な怪魚になった。
水面に写る己のあまりの醜さに、吾輩は言葉を失った。さすがの太郎も、これには驚きを隠せない様子だった。
絶望した吾輩は、ゆっくりと海に潜った。背後では、太郎が何かを叫んでいる。

「おおい、竜宮の使いよ。さすがに悪どい事をした。許せ。せめてその償いとして、そなたを幸運を呼ぶ者として後世に伝えよう」

その言葉を背びれに受けながら、吾輩は思った。

(竜宮城では、時間の流れが地上の百倍になる事を、太郎に伝え忘れてしまった。太郎は確か、竜宮城に三年おったはず。すると、彼はこれより一人きりでこの三百年後の世界で生きてゆかねばならないのだな……)

吾輩は太郎に同情しかけたが、その必要もないだろう。吾輩も、こんな姿では竜宮城にはもう帰れないのだから。
それより、太郎は吾輩の事を「リュウグウノツカイ」と呼んだな。悪くない。
長い事、名前を持たなかった吾輩だが、これからは「リュウグウノツカイ」と名乗り、自由に生きる事にしよう。
乙姫様の悪趣味に付き合わされるのにも、うんざりしていたところだ。
そう、先刻まで、吾輩は亀であった。だが、今はリュウグウノツカイだ。
吾輩は、もう自由なのだ。

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