小説

『北風と太陽 』実川栄一郎(『北風と太陽』)

ツギクルバナー

 その夜、私は、2人の友人と、行きつけのスナックで飲んでいた。
 牧田と山村は、私の学生時代のクラスメートで、卒業してから20年以上たったいまでも親しくつきあっていた。
 私たちは、年に1、2度、誘いあって泊りがけの旅行にでかける。その日、私は、いつものように2人を誘った。
「どうだ、また3人でどこかへ旅行にでも行かないか?」
 私の提案に、まず牧田が乗ってきた。
「ああ、いいねえ。でも、どうせ行くなら、もう少し涼しくなった、紅葉の時期がいいな。そうだな、10月ころがいいんじゃないか」
「10月だったら、いまから予定を立てれば丁度いいだろう。山村、おまえの都合はどうだ?」
「うん、大丈夫だと思うよ」
「よし、決まった。10月なら、俺は3週目の土日が都合がいいな」
 さっそく牧田が手帳を出して、カレンダーを眺めながら言った。
「おい、おまえ、自分の都合だけで勝手に決めるなよ」
 私が慌てて言うと、牧田は申しわけなさそうな顔をした。
「わるい、わるい。でもな、10月の週末は生憎みんな予定が入っていてね、空いているのは3週目だけなんだよ。それに、このあたりがいちばんの紅葉の見ごろだろう」
 けっきょく、旅行の日取りは、10月の三週目の土日ということになった。
「俺、のんびり温泉にでも入りたいなあ」
 山村がそう言うと、牧田が眉をひそめた。
「なんだよ。ずいぶんと爺むさいことを言うんだな。温泉もいいけど、それはゴルフで汗を流してからにしようぜ」
「ああ、それはいい。じゃあ、近くにゴルフ場がある温泉宿だな」
 私は、牧田の考えに賛成した。
「それじゃ山村、いつものように、いいところを見つけて、手配しておいてくれよ」
「なんだ、また俺が幹事かよ。しようがないな」
 山村は不満そうに言ったが、その目は笑っていた。
 私には、昔と変わらない3人の会話が心地よかった。
 そうだ、学生時代もこんなふうだった……。私は、20年以上もまえのことを思いだしていた。
 あのころ、大学の期末試験の直前になると、牧田はいつも、山村にノートを見せてくれと頼んでいた。山村は、いやな顔もせずに、牧田にノートを貸していた。牧田ほどではないが、私もよく山村にノートを見せてもらった。
 ところが、試験が終わってみると、いちばんいい点数をとるのは、いつも牧田だった。
――見せてもらったおまえの方が山村よりいいなんて、ふざけているよなあ。俺なんか、きっちり山村と同じ点数なんだぞ。いったいどういうことなんだ?
――まあ、そう言うなよ。俺だって、山村のノートのまま書いたんだけどな。おかしいなあ。
 そんなとき、山村は、私と牧田のやりとりを聞きながら、何も言わずに笑っていた。そして、いまも山村は、あのときと同じように笑っている。
 旅行の話題が一段落すると、めずらしく牧田が仕事の愚痴をこぼしはじめた。自分の部下たちが、なかなか思ったように動いてくれないというのだ。
「俺が具体的な指示を出しているんだから、そのとおりに進めればうまくいくのに、それができないんだよなあ。どうして、そんなこともできないのかと思うと、じれったくなって、つい叱っちゃうんだよな」
「そりゃ、おまえから見れば、若い連中はもの足りないだろうけど、彼らは彼らなりに努力しているんだから、もう少し温かい目で見てやればいいじゃないか」
 私は、自分の職場の部下たちのことを思いだしながら、そんなことを言った。
「おまえは、ずいぶん甘いなあ。俺たちの若いころを思いだしてみろよ。上司に叱られながら仕事を覚えたじゃないか。忘れちゃったのか?」
「まあ、それはそうだけど、いまは我々の時代と同じようにはいかないさ」
「おい、山村、おまえ、俺たちの言うことのどっちが正しいと思う?」
「そんな問題に正しいも間違いもないだろう。それにな、幸か不幸か、俺は部下というものを持ったことがないからな……。よく判らないよ」
「なんだよ。はっきりしない奴だな」
牧田は、がっかりした様子で山村を見たが、1人で会計事務所をやっている山村が、会社勤めの2人の議論に入れないのは、仕方のないことだった。

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