あたたかな光が室内にあふれ、カーテンの隙間からすっかり日暮れた晩秋の街に漏れ出している。秋の夕暮れ時の空気はなんだかグレイッシュだ。落ち葉やたきびのくすんで、すこし湿っぽい温もりがそうさせているのかもしれない。冬の空気には、もっとずっと透明でからりとした潔さがある。秋が、冬になる前に最後の抵抗をしているように思えて、なんだかいじらしい。
光太郎は、明かりの中にいる子ども達のほっこりとした笑顔を思い、目を細めた。他に大きな建物もなく、ぽつんと建っている図書館は、夜の闇に浮かび上がっている。その中だけ、特別にあたためられているみたいだ。光太郎は足取りを速め、まだ新しさの残るコンクリートの箱に入った。
館内はしんとして、冷たく薄暗い。奥の談話室からだけやわらかい光がこぼれている。
談話室のドアを開けるやいなや、熱気とともに温かい固まり達が光太郎に雪崩れ込んできた。
「コウちゃん先生、こんばんわぁっ」
「ねえ、ちゃんと待ってられたんだよ、えらい?えらい?」
次々に口を開く子ども達の一人一人に微笑みかけながら光太郎は言った。
「はい、今晩は。みんなえらかったね。お待たせして御免ね」
おでんを皿によそう時みたいだ、と光太郎はいつも思う。扉を開けると熱々できらきらのだし汁が溢れ出してくる。続いて、湯気がほこほこと出ている煮たまごに、はんぺん、がんも達が我先にと鍋から飛び出してくる。しあわせな情景だ。
「光太郎先生、いつもすみません、寒かったでしょう」
部屋の中から司書の沢木さんが声を掛けた。仕事以外で自分の母程の年の女性から先生、と呼ばれることにもようやく馴れてきた光太郎だった。
「いや、もう冬も近いですね。ここは別世界みたいにあたたかい。」
薄手のコートを脱ぎながら、子ども達を引き連れ窓際まで歩く。一面にカーペットが敷き詰められた床に二十名程の子ども達が座り、隣同士でおしゃべりしたり、本に夢中になったりしている。幼稚園児から小学生まで、年の頃は様々だ。
「さあ、そろそろ始めようか。みんな座ってね」
光太郎が声を掛けると、子ども達ははしゃぎながらも磁石が電極に吸い付けられるようにぴたっとそれぞれの定位置に着いた。
光太郎は窓辺の椅子に腰掛け、鞄から絵本を2冊取り出す。沢木さんがにっこり頷くのに、こちらも笑顔で応えてから光太郎は口を開いた。
「さて、今夜もおはなしをふたつ。みんなは魔法使い知ってるよね。やさしそうな魔法使い、怖そうに思える魔法使い。色んな魔法使いが居るけれど、今夜のおはなしにも魔法使いが出てくるよ」
そうして光太郎は絵本を読みはじめた。
光太郎が絵本の読み聞かせをするようになったのは半年程前だ。たまの休みには必ずと言っていい程通い詰めていた街の図書館で、閉館後も消えない明かりがあることが以前から気になっていた光太郎は、ある日それが児童向けの読み聞かせ会だと知る。聞けば、語り部はボランティアでいつも人手が足りず、今も募集しているのだと言う。気付くと光太郎は、語り部を申し出ていた。
光太郎は決して積極的な性質ではない。今の大学助教の職を選んだのも、研究室の教授に声をかけられたという理由からだ。勿論、それなりに意義がある研究だとは感じているが、それだけだった。
光太郎は、彼の生活について不足や不満を感じたことはなかった(むしろ恵まれていると感じていた)が、日々が楽しいかと問われると、いつでもどう答えていいかわからないのだった。そして、光太郎にはひとつ厄介事があった。夜、眠れないのである。
眠れないことについて光太郎は常々、むつかしい問題だなあ、と思っていた。取り立てて大きな心配事や悩みがある訳でもない。それなりによい暮らしだと思っている。けれど、仕事を始めてしばらくしたある日、ぱったりと眠れなくなってしまったのである。
眠気はあるのだ。目が重く、睡魔が襲ってくる感覚。けれども、睡魔は頭の中でおどけるように騒ぐだけで、眠りの底まで連れて行ってはくれない。身体は眠りたいと訴えている。休息が必要だと。しかし、思考が次から次へと連鎖して頭の中を駆け巡り、一向に静まらない。眠らなければ、気持ちを落ち着けなければと格闘しているうちに、窓の外が白んでいるのである。