小説

『金の斧、銀の斧』壬蒼茫(『金の斧』)

 男は友人の家で奇妙な話を聞き終えたところだ。
「信じられんな」
「本当さ。ぼくが嘘をついたことがあるかい」
 たしかにそうだった。この友人は自分と同じ『きこり仲間』であり、仲間内でも、正直者で通っていたのである。そんな友人が自分に嘘をつく理由がない。
「しかし……信じられんな」
「本当なんだよ。事実だからこそ、ここに金の斧も銀の斧もあるんじゃないか」
 たしかにそれもそうだった。
目の前には、今、話できいたばかりの金の斧と銀の斧がある。
 それを目の当たりにしては信じるしかない。
「つまり、お前が川べりで木を切っていたら、うっかり鉄の斧を川に落とした、と」
「そう。すると川からヘルメスという神様があらわれた」
「お前が落としたのは、この金の斧か、ときいたんだな」
「そうさ」
「わたしが落としたのは、金の斧ではありません」
「そうさ」
「お前が落としたのは、この銀の斧か」
「そうさ」
「わたしが落としたのは、銀の斧ではありません」
「そう。その通り」
「お前は正直者だ……か」
 男は友人から今しがたきいた話を口の中でぶつぶつとくり返しながら、部屋に飾られた金の斧と銀の斧をうらやましく見ていた。
 俺も欲しい。男の中で欲望が持ち上がるのが感じられた。
「他にこの話を知っている奴は?」
「誰にも言ってない。君だけだよ」
「そうか。その斧をもっと近くで見せてくれ」
「いいとも」
 男は二本の輝く斧に近寄った。
それはいっそう魅力的に見えた。男の心を誘惑した。何とかして自分もこの金の斧と銀の斧を手にいれたくなった。
なぜ、これらがこの友人のものであって、自分のものではないのだろうかと、くやしく思った。
「ちょっと、さわってもかまわないかな」
「もちろん、いいとも」
 男は金の斧と銀の斧を手に取った。
たいそう持ち重りがした。動かすたびに手の中でキラキラと輝きをはなった。目が潰れそうなほどに魅惑的だった。
「まるで別物だな」
「何がだ」
「俺の使い古しの汚れた斧と比べて、だよ」
 男は、どうしても欲しい、と思った。どうしても欲しい。どうしても欲しい。
ついにはそれを通り越して、この斧はもともと自分のものであるかのような錯覚さえ抱きはじめていた。
「ためしに比べてみるかい?」
 そう言って金の斧と銀の斧を元の場所へもどすと、男は自分の斧を取りに動いた。

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