小説

『カモノハシの卵』空家和木(『浦島太郎』)

「本当に楽しかったです。朝、起きるのは大変でしたけどね。この自動通訳機能も本当に素晴らしいですね。翔くん、かわいかったですよ。それじゃあ」
 お姫様もいなくなる。
「翔くん、お願いごとしていましたよ。早く大人になって、今日みたいに楽しいことをできるようになりたいって。彼のその想いに僕たちは夢を見させてもらっていると思うと、なんとも不思議ですよね。それじゃあ」
 王子様もいなくなる。
 遊園地にいるのはサンタとトナカイだけだ。
「システムはどうやら問題ないようだね。社長」
 サンタがトナカイに言う。
「はい。空間の完成度と再現度ともに高かったですし、感情および神経伝達における人物投射もほぼ問題なかったです。今回の最大の試みでもあった記憶空間と仮想空間との混合も成功したのではないかと。会長」
 赤鼻を外しながら、トナカイが言う。
「オンライン状態も自動通訳機能も正常だったしな。これは、世界中が驚くぞ」
 サンタはワクワクしているようだ。
「でも、なぜ会長の子供の頃の記憶をお選びになられたのですか?」
「私にとっての始まりなんだよ。実際に、伯父さんが連れてきてくれたのは、普通の遊園地だったけどな。伯父さんと一緒に勝手に物語を作ったりして、いつまでも遊んだなぁ……子供の私にとってはすごく新鮮で自由だった。早く大人になって、もっともっと楽しいことをやれるようになりたいって思ったよ」
 サンタは思い出しながら言う。
「同じこと言ってましたね、翔くん」
「そりゃ、そうさ私なんだからね。でも、子供の頃の自分と話すというのは変な感覚だったよ」
「長い付き合いといたしましては、子供だった頃の会長に会えたというのは貴重な体験でした。わが社の原点に立ち会ったような気分です」
 トナカイは嬉しそうに語る。
「大袈裟だよ」
「きっと、見守っていた社員たちもそう思っていたはずですよ」
「最後に約束した言葉な、自分自身に言っていたんだよ。あの時の気持ちを忘れるなってね。それは、みんなに伝えたかったことでもあった」
「きっと、届いたと思いますよ。本当に素晴らしいテストプレイでした。それじゃあ」
 トナカイもいなくなる。
「さて、それじゃあ」
 サンタもいなくなる。
 ライトが消える。
 遊園地もなくなる。

                  ●   

翔は顔を覆うようにセットしていたインターフェースを外した。ゆっくりと目を慣らしてから、翔は椅子から立ち上がった。ここは翔の書斎だ。
「負荷も障害も特になしと」
 階段を誰かが上がってくる音が聞こえる。勢いよく開く扉。
「翔おじいちゃん、一緒にゲームしよう!」
 今年、小学生になる孫の遊だ。
「よーし。まだまだ、遊には負けないぞ」
「今日こそ、おじいちゃんに勝つぞ!」
 部屋を出ていこうとする遊を翔は引きとめた。そして、とっておきの話をする時のように耳元でひっそりと囁く。
「明日、おじいちゃんと遊園地に行こうか」
「えー、遊園地よりもゲームの方が楽しいよ」
 遊の反応を見た翔はこう続ける。
「パパとママには秘密の冒険さ」
 遊の目が輝き出す。そして、何かを言おうとして動こうとする遊の唇を、翔は手で掴まえた。
「カモノハシ」
 遊も真似をして、翔の唇を手で掴まえる。
 二匹のカモノハシは同じタイミングで笑った。

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