小説

『心霊写真、以前』原田修明
(inspired by 小説『もらい泣き』)

 痛みが耐え難くなったのは、満開の桜が散り始めたころだった。
 空腹になるとみぞおちのあたりがしくしくと絞られ、満腹になると少しの間だけ収まる。放っておけば治ると思っていたが、あまりのしつこさに眠ることさえできなくなって、とうとう医者に行った。
「ねえ、胃カメラ飲むの初めてなんだけど、大丈夫かしら」
 同行した夫が、さらりと嫌なことを口にした。
「初めて飲んだときは、胃に何も残ってないのに吐き続けるような感じだったな」
「あのねえ、もうちょっとましなことは言えないの?」
「カメラはカメラでも、胃カメラは仕事道具じゃないんでな」
 うまいことを言ってやった、という満足げな顔を見てため息をつく。夫は写真で稼ぐようになって二十年以上になる、ベテランのカメラマンだった。
「たぶん、十二指腸潰瘍かなんかだろ。最近、美奈も俺につきあって飲み過ぎたからな」
 確かに、異動の送別会、歓迎会に加えて、後輩の独立や結婚などのお祝いごとが相次ぎ、連夜繰り広げられる宴会にあたしも参加していたのだった。
「お父さんもね、若いとき十二指腸潰瘍になったことがあるのよ。一週間、点滴だけで入院してたんだけど、やだなあ」
 しぶしぶと、ベッドに横になる。マウスピースを咥えさせられ、先生が細長い機械の蛇を、くねくねと動かしてみせる。
「すぐ終わりますからね」
 待って、と言う間もなく喉に何かが入ってきた。
 夫が言ったとおりのことが起こった。

 あたしはそのまま、入院することになった。そのときはまだ、十二指腸潰瘍だと思っていた。
 夫は毎日、顔を出してくれる。点滴だけで飲み食いはできないので、差し入れはもっぱら小説だった。
「ごめんね、お世話できなくて」
「爺さんじゃないんだ、自分のことぐらい自分でできる。それより、まあ、たまにはゆっくり休めよ」
 つぶやいて、横を向く。結婚して十五年も経てば、本当は優しいのに、それを口に出すのは苦手だということくらいは判っている。はずだったが、その横顔には、深いかげりがあった。

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