「ああ? 何?」
「……しっぺい太郎だ。あそこの地域は、しっぺい太郎に守られとるから駄目だ」
「……誰だよ、それ」
「犬だ」
はっ、なんだそれ。男は猿吉の話を笑い飛ばす。それから、低い声で言う。
「おい、猿のじいさんよお、ふざけてんのか? 俺は真剣なんだよ。真面目に誘拐計画を練ってんだ、じいさんならヨボヨボだけど運転くらいできるし、口は堅いから信頼できると思って誘ってやってるんだよ」
だが猿吉は首を振る。
「ありがとうなあ、声をかけてくれて。でもな、あんたな、今回ばかりは諦めろ」
「……もういい、いいよ、俺ひとりでやるから。じいさんが乗ると思ったから計画も教えてやったのに…………なあ、俺の計画、誰にもバラさないだろうな」
「知っとるだろう、口の堅いのは。……組織にも警察にも何も言わん、言わんがな、やめた方がいい。……やんなら、せめて、しっぺい太郎に気をつけろ」
そうして男は、結局ひとりで動く事にした。
いつも、いつも、上からの命令で動くばかりだった。男は初めて、自分で立てた計画を自分で実行する事となった。
白羽家の一人娘は、金持ちだってのにろくに警戒もせず、ひとりでのほほんと道を歩いている事もよくある。そこを、優しく声をかけてやって、車に連れ込んで、事前に見つけていた小屋に連れて行くのだ。雑木林の中にあるボロ小屋、誰も来ない場所、小学生を縛って閉じ込めてもきっと誰にも気付かれない。
男はそういう計画を立て。
実行し。
成功した。
成功したのだ。見事、子供を誘拐した。後は身代金を要求するだけだ。
誘拐された子供は不安そうな目で男を見ている。その事実に、男はぞわぞわと高揚した。
できないと思っていた。
男は思う……今だから言える。失敗すると思っていた。今までは組織という集団の中で、言われた事だけやっていればそれで良かった。どんな言葉で他人を騙し、どんな行動で警察から逃げたら良いのか、指示してくれる人間がいた。今はひとりだ。ひとりで罪を犯し、失敗したら? どうやって逃げればいい?
せめて道連れが欲しかった。
だから猿吉を誘った。
断られたが、でも、もう、いいのだ。だって成功したのだから。
いや、まだ安心はできないぞ俺。まだこれから身代金を奪わなきゃあいけないんだぞ。でもさ、もうガキは手元にいるんだから、もうほぼ成功したも同然じゃないのか、なあ俺よ。