小説

『透明みたい』室市雅則(『不知火の松(神奈川県川崎市)』)

 
 家に帰っても誰もいないし、両親はとっくにこの世にいない。さらに昼夜が逆転しているため、数少ない友人とも中々時間が合わない。仕事では雑談もろくにしないから、一日の中で、会話を交わしたのはハチゴだけだったなんて日常茶飯事だ。
 ハチゴはこちらが言葉を投げ掛ければ返してくれる。ただし業務に関すること以外は『分かりません』で終わる。私が『ご飯美味しかったよ』とか『髪を切ったんだ』と言っても『分かりません』とだけの回答で会話は終わる。
 つれない感じもするが、よき相棒だとは思っている。再び同僚たちから揶揄われるのが面倒なので、無論、それは胸の内に留めている。そもそもあまり人と関わりたくない性質だから、この仕事に就いたのだった。
 
 フレアスタックからハチゴに目を落とし、モニターに表示されている項目にチェックを入れた。
「お疲れ様でした。次の出勤は明後日です」
「了解。明日の休みは何をしようか?」
「分かりません」
 控室に戻るために、タンクの階段を降りていく。安全靴が鉄板を鳴らす音が響き、タップダンスみたいだ。

 控室でハチゴを充電器にセットをするとモードが切り替わって画面が消えた。うっすらと髭が浮き出た私の顔が映った。充電モードの赤いランプが点っているのを確認して部屋を出た。
 早番の担当者に申し送りを済ませて、駅に向かう送迎バスに乗り込む。何となく定位置になっている窓際のシートに座って、ぼんやりと外を眺める。明日は休みだし、駅前のスーパーでレモン酎ハイとウイスキーを買おう。つまみは何が良いだろう。明日はハチゴとは会わないから、明後日まで一言も発さなかったりしてと思い浮かんだ。 
 コンビナートと駅から少し歩いた所にあるアパートの往復。それが私の日々だ。三十過ぎに今の職に就き、特別に将来への不安は感じていない。達観しているわけではない。不安を感じる為の出っ張りみたいなものがなく、ただ漫然と過ぎているだけだ。自分自身の過ぎる時間に意味も意義も分かっていない。
 ハチゴに『生きる意味って何だろう?』と尋ねたことがある。やはり『分かりません』と答えがあった。
 

1 2 3 4 5 6