小説

『白鶴の桜』宮脇彩(『鶴の恩返し』)

 泣きやんだ私が、鼻声で、やっぱり不器用に微笑みながら言うと、二人は笑ってくれた。それはもう、心の底から嬉しそうに。ああ、春がこんなにも待ち遠しい。そして、春を待つ時間も、その全てが愛おしく思えた。
 人間とは、難儀な生き物ね。たった一度の優しさに、何か返そうと頑張ってみても、結局は、もらってばっかりで。愛しさがあふれて止まらない。幸せに溺れそうで怖くて、相手にも幸せでいてほしくて、でも空回って…。なのに、いつのまにか、私の存在が相手の幸せになっていたり、私の何気ない言葉や行動さえも、相手の幸せにつながっていたりするのだ。
 おじいさんが私を助けた優しさ、桜の櫛、「恩を返したい」と思った私の気持ち、「二人のそばに居たい」と流した涙、「ここに居てほしい」という二人の願い、そして、「共に生きる」と約束したそのすべてが、きっと、「愛」と呼ぶべきものなのだろう。
 不器用にも懸命に誰かを愛し、愛されることで、人は生きてゆけるのだ。
 だったらもう、私は何も怖くない。
 来年も、再来年も、その次の年も、三人で桜を見た。私の結った髪には、いつも桜の櫛。年を重ねるごとに遅く、ゆっくりとした動きになる二人の歩幅に合わせて、丘を登った。そうして、「また来年も」と約束をし、丘を降りる。そんな幸せな時間が、ゆっくりと過ぎて行った。
 ゆっくりと、時間は終わりを連れてきた。
 三人が、やがて二人となり、そして、一人になった。
 いえ、正確には「一羽になった」と言うべきかしら?もう、どちらでもいいわね。
 太く立派な木の幹にそっと触れ、満開の桜を見上げた。舞い落ちる花弁と共に、幸せな思い出が私に降り注ぐようだった。
 たった一人でこの桜を見ているのに、不思議と、悲しさや苦しさは感じなかった。温かな気持ちが、この胸を満たしている。
 「もう一度、二人に会いたい」と言えば、二人を悲しませてしまうかもしれない。
 でも、そっと願うことぐらいは、許してね。
 私、今年の桜を、ちゃんと見ました。一人で、見届けました。
 だから…。
 「会いたいよ」
 こらえきれずにつぶやいた刹那、強い、強い風が吹いた。
 髪が解け、薄桃色の花弁と共に、櫛が飛ばされてしまった。
 捕まえようと伸ばした私の手は翼へ変わり、そのまま空へ羽ばたいていた。
 ああ、早く捕まえたいのに。舞い踊る花弁に阻まれて、なかなか捕まえられない。
 待って。お願い、待ってよ。
 視界が薄桃色に覆いつくされて、見失ってしまいそうだ。
 早く、早く。
 大空を羽ばたいていたはずの私は、いつの間にか、二本の足で地面を蹴り、両の腕を振って走っていた。
 走って、走って、そして…。
 そして、見つけた。今、捕まえるから…。
 見事な白い桜の木がある丘のふもとで、やっと追いついた。
 二人の間に駆け寄り、両手を握る。
「お父さん、お母さん!」

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