小説

『おひなさま』香久山ゆみ(『ひな祭り伝承』)

 くそ。やっちまった。
「おばあちゃんの調子が悪くて。病院行くから、子どもたちの面倒見てくれない?」
 なんて、ただ事ならぬ電話をくれるものだから。慌てて駆けつけてみりゃあ。
 おねえに騙されて、親族の集まるひな祭りにまんまと乗り込んでしまった。なあにが「脇腹が痛いって言うから病院行ったら、寝違いだってー。あっはっはー」だ。そもそも母さんもいるなら、姪っ子たちの面倒も間に合ってるじゃないか。「いや、べつに母さんもおばあちゃんも呼んだわけじゃないんだけどねー。かわいい孫のひな祭りだから、勝手に来ちゃったのよー」だと。
 お陰様で案の定、祖母から母から、「結婚はまだか」「相手もいないのか」と針の筵だ。「なんで結婚できないのかねえ」? そりゃああんたらに授けられたこの器量のせいだと言いたいところだけど、同じ顔した直系尊属たちは皆子孫を残しているのだから、ぐうの音も出ない。
なんだ、この家は酒も出ないのかー、なんてくだを巻きながら、雛飾りの前でちびちび甘酒を飲む。ひなあられをつまみに。……むなしい。
この立派な七段の雛飾りは、実家から、嫁いだおねえの家に受継がれたものだ。「このおひなさま、お姉ちゃんか妹か、どっちに持っていってもらおうかねえ」なんて母さんたちが話していたのも、今は昔。嫁いだおねえに女の子が授かるや、私になんの相談もなく引き渡されてしまった。私たち姉妹、ふたりの雛飾りだったのに。ほら、雛人形たちも私を見て、「よ。久しぶり!」なんて顔してる。私だって。お気に入りの人形だったのに。そりゃあね、浮いた話の一つもないけどさ。でもさ。ああ、やだやだ。親族の集まりに混じると、最近はこうやって愚痴っぽくなっちゃうから嫌なんだ。だから、こうして雛人形に再会するのも学生の頃以来だ。
 久々に見上げる雛飾りは、我が家の持ち物にしてはやはりずいぶん立派。うん、だから、女の子を二人も授かったおねえの家に引き継がれて、雛人形も本望だろう。
 なんて、しみじみしていると、あっちでも昔話に花が咲いていたのだろう。「ねえ」とおねえが話し掛けてくる。
「そういえばあんた、おひなさま片付けないでーなんて言ってたわね。だから嫁き遅れたんじゃない」
 うが。またその話題か。失礼な。でも、そうだっけ?
 確かに、この雛飾りは幼い私の宝物だった。特に、お内裏さまとおひなさまは格別だった。子ども心にその美しい顔立ちに魅了された。私たち姉妹はこのお姫様と王子様を取り合った。「三人官女と五人囃ぜんぶあげるから、おひなさまとお内裏さまはあたしのー」なんて。ちゃんと手入れしてあるのか、おひなさまもお内裏さまも、あの頃と変わらない白く美しい顔をしている。
「ねーねー。このおひなさまみいちゃんに顔にてるねえー」
 姪っ子が大発見だというように声を上げる。「あら、本当。あんたによく似てる」おねえまでまじまじと私の顔を見る。そうかな。幼い頃には似てると思ったことなんてなかったけれど。大人になって私、おひなさまに似てきたのかしら。そうなるとまた少し、雛飾りに未練が出てきて、何気なくおひなさまに手を伸ばしてぎょっとする。
 人形の底に私の名前。
 そうだ、おねえとお姫様を取り合って、私のだって、書いたのだ。
 私がおひなさまで、そして、だから――……? ぞ。雛壇の一番上から、お内裏さまの熱い視線を感じる。
 みいがお姫様なんだから、王子様とけっこんするのよ。ねー。おねえのいない時に、こっそりおひなさまに自分の名前を書いて、お内裏さまと約束した。その時、お内裏さまは微かに頷いたのだ。
 だから。

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