小説

『この花々を植えたひと』泉瑛美子(『桃太郎(岡山県)』)

 拡声器のアナウンスが鳴り渡った。
 本日はぁ、ご来店誠にありがとうございまぁす、ただいまよりぃ、みなさまご待望のモモタロウの大売り出し。
 ごかぞくさまひとつまで、必ず家に帰ってからおあけくださいますよう、おねがぁいいたしますぅ……
 行列の前のほうに、フユコさんを見つけた。彼女も私に気づいて、手を振った。なぜだろう、その時急に、フユコさんへの憎しみが湧いて出た。どこから来た感情かわからない。ああもしかして昨夜、夫の元に実はフユコさんのような女性が通い、辛いおかずや漬物を届けているさまを想像したせいなのか。そのうちその女が、瓶に食べ物の代わりに自分を詰めて置いていったら夫はどうするのか。
 列はのろのろ進むので、並ぶ人々をじっくり観察できる。意外なことに、桃太郎など特に必要なく、幸福そうな者も来ている。たくさんの孫と交代で手をつなぎ、每日公園を散歩するおばあさん。団地の集会所で刺繍のワークショップを始め、すぐに人気が出て作品を販売するようになった主婦。向かいの高層マンションに住み、いつもゴルフバッグか小型犬を脇に抱えて闊歩している紳士。私が心の底で、ひそかに羨ましがっていた彼らが、今日はまるで別人の顔つき、獲物をねらう鷲のように険しい表情で並んでいるのである。あの人たちは貪欲なだけなのか、見かけより不幸なのか、わからない。
 そうこうするうち、私の順番になった。店員がニコニコしながら、どの桃を選ぶか尋ねる。大量の桃が整然と配置され、産毛を柔らかく光らせた。
 ももたろうくん、おいでなさい、かくれんぼは終わりですよ。
 心のなかで呪文を唱えるが、桃の山は恐れたかのように縮こまり、秘密の合図をよこさない。仕方がないので目を閉じて、ぱっと勘で掴みあげた。そばかすのような斑点が浮いた、痩せた桃である。幸運は、案外こういう目立たないものに宿っているものだ。私は代金を払い、わくわくした気持ちで帰宅した。
 さて、いざ台所に立てば、桃の割り方が問題だ。桃太郎が中にいると仮定して、大きさが不明なゆえに下手に刃を入れられない。表皮ギリギリまで桃太郎が詰まっていたら傷つけてしまう。昔ばなしの老夫婦はどのようにこの点を解決したのか、肝心な部分がぼかされている。
 思い悩んでいると、玄関でガリガリと音がした。見に行くと、ドアの向こうを引っ掻いている気配がする。まさかフユコさんではないだろう。チェーンをかけたままドアを細く開けて、見つけたのは柴犬と日本猿だった。すかさず、柴犬が明るい声で叫んだ。
「当選、おめでとうございます!家来のイヌとサルです!どうぞよろしく!」
 慌てて部屋へ招き入れた途端、サルはまっすぐ窓へ向かった。
「キジとベランダで待ち合わせていましてね、お手数ですが窓をあけてください」
 ガラス戸を引けば、立派なキジが物干し竿にとまっている。
 振り向くと、肝心の桃はすでに割れ、薄靄が徐々に人のかたちを作りはじめた。イヌが誇らしげに、「果物ナイフなどより、一 本の犬歯さえあればいい」と説明するうちに、桃太郎が現れた。ほっぺが上気した、すこやかな少年だ。
「はじめまして、桃太郎です」と礼儀正しく挨拶し、さっそく屈伸運動を開始するので驚いた。まずお茶でも、と呼びかけると、きょとんとした顔で答える。
「できるだけ早く、鬼退治に出発してほしいのでしょう、皆さんそう言います」

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