小説

『この花々を植えたひと』泉瑛美子(『桃太郎(岡山県)』)

 私はそれほど強欲な人間じゃない、と思わず赤面し、急いでコップに麦茶を注ぐ。全員にキビ団子を配ると、家来達は喜んで食べた。「なんとまあ、古風なお菓子ですねえ」「どの絵本でも、これを腰につけることになっていますから」とわいわい騒ぐ。
 主役の桃太郎は、戦へ向け気持ちを整えているのか、黙って口に運んでいた。不思議なのは、彼の横顔だ。ほんの少しずつ、昔の知り合いの面影を宿しているのだ。初恋の先輩や、習い事の先生、疎遠になった幼馴染、亡くなった祖父。過去のある時点で交わり、今は会えないひと達を鍋に入れて混ぜ合わせたら、こんな顔ができるだろう。
 すると、桃太郎の澄んだ声が響いた。
「鬼退治には二種類あります。プランAは資産型。秘宝をぶんどってきますから、あなたはお金持ちになれます。プランBは排除型。あなたのしあわせを邪魔する存在、つまり鬼を探り出して消します」
「鬼っていうけど、誰のこと?どこにいるか分かるの?」
 サルがイヌの首輪を分解し、中から磁石を取り出した。
「これで居場所がわかります。鬼の名前は明かせませんが、我々は殺人集団ではありません。鬼ではないものへ姿を変化させるだけです」
 私は、誰を消したいのだろう。何がなくなったら、満足するのか。実在するかも分からない、夫へ近づく女性?それとも、私を退職に追いやった元上司?会う度にマウンティングしてくる女友達?心の深淵を覗き込めば、次々と恨みの対象が出てきそうで怖かった。ここは素直に、桃太郎におまかせしよう。プランBに話はまとまり、彼らは翌朝出発することになった。キジが一声鳴くと、割れたはずの桃がぐんぐん膨らみ、テントになって寝場所をつくった。夢のような展開を味わった私は、夢も見ない眠りに落ちた。
  夜明け前に目が覚めたのは、もしもし、と桃太郎に体を揺すぶられたからだ。目をひらくと、イヌもサルもキジも、皆そろって私の顔を見つめている。空気が重い。桃太郎は、
「失礼を承知で申し上げるのですが」と切り出したきり黙ってしまった。言ってごらん、と促すと、鬼ヶ島へ行くのが難しいと分かったそうだ。当然理由を聞くのだが、もごもご誤魔化している。わざと怖い声で問い詰めたら、サルが前足で顔を隠しながら告げた。
「何度試しても、磁石があなたのほうを指すのです。」
「その磁石は、たしか鬼がいる場所を示すはずね?」
 つまり、鬼は私の中に棲んでいるのだ。私の場合、鬼はあの人でもこの人でもなく、心に巣くう感情だと磁石が語るらしい。 どうしますか、プランAに切り替えたら、金や宝石を持って帰りますよ、と桃太郎の提案が聞こえる。私は薄明のなか、天井にじっと目を凝らした。
 それから十日後。空は桃太郎の販売日と同じく、真っ青に晴れている。私はターミナル駅へ、久しぶりに連休がとれた夫を迎えに来た。改札を抜けて進んでくる彼は、妙に大荷物だ。
「むこうで地元の漁師と知り合ってさ、焼きリンゴの最高に美味い作り方教えてもらったんだよ。戻ったら絶対作ってやろうと思って。リンゴ、好きだろ?」
 ダッフルバッグは、奥さんによろしくと言って持たせてくれた特産のリンゴやバターでいっぱいらしい。夫の笑顔と言葉と、靴音が、ゆっくり私を溶かしていくようだ。
 昨日、桃太郎から報告書が届いた。真の勇者である彼は結局、私の心の中へ旅に出て、鬼退治をしてくれたのだ。ピンクの便箋には、角張った字でこう書かれていた。

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