アルバイトを始めるという洋一に親はそう思っていた。口に出して洋一にそう言って来た。確かにそういう親心を尊重した方が、将来の洋一にとって、よいというのは誰の目にも明らかだったが、洋一自身には、目の前の青い春の問題が「アルバイトで金を得ること」で解決できる気がしていたし、それは手っ取り早い解決法だということが、魅力的な安易な考えに傾いていた。
アルバイトは学校帰りの途中にある繁華街のファストフード店で始めた。その店には、高校の友人が以前からいて、彼の紹介もあって洋一は面接も早々に採用された。
店はこの繁華街では一番古いという話のビルの一階にあった。ビル自体は古風な百貨店だが、その入り口横がこのファストフード店だった。
アルバイトを紹介してくれた榎本義一が先に立って歩きながら、このビルの地下倉庫について説明してくれた。その案内のとおり、地下は暗澹たる洞窟のように暗く、空気がとても湿った夏でも冷たいような空間だった。洋一は恐ろしくさえ思いながら、義一の話に耳を傾けていた。
義一は、この店のアルバイトについて、洋一だから紹介したのだ、しっかりやってくれよと言った。洋一は「うん、分かってるさ」と、そのことには地下の恐ろしさを忘れて微笑んで答えた。
洋一がアルバイトを始めたファストフード店は、サンドイッチ系の食べ物を中心に各種メニューと飲み物を提供していた。アルバイトは男女が半々という感じだ。高校生から専門学校、大学生もいた。平日の昼間には、近所の主婦もアルバイトに加わる。
そのアルバイトの中に高島有紀がいた。有紀はアルバイト女性が並ぶと2,3センチ頭が出る程度に長身でスラリとした体型だった。小さな顔で、髪型がいつもしゃれている。高校生にしては自由な髪型なのは、それは高校でも、美容師の養成をする課程に通っているせいらしかった。そこからアルバイトに来ている同級の女の子が3人いた。折に触れて、生徒同士で実験台になって実践の練習をしているのだという。だから、その髪型は、成功しているときと失敗しているときがあった。ひどいときは、髪の色が変だったり、下手をすると髪が部分的に焦げてくしゃくしゃになっていたりした。その課程の生徒たちは、初めのころは自分の髪がそうして傷んでダメになったり見苦しくなったりするのを本気で怒るものもいたが、数ヶ月が過ぎるころには、「もうどうでもいいと思うようになった」と言って笑い。「私の髪をこんな色にしたのは、麻美です」と、有紀は同じ学校からアルバイトに来ている女の子を大真面目な顔で名指しして見せ、「ごめんー。先輩にチクらないで」と互いに手を取って「プッ」っと吹き出して、声を上げて笑い合った。それは、子猫がじゃれ合っているかのようだった。
洋一はその美容師養成課程に通っている彼女たちより少しだけアルバイトの採用時期が先だったのと、学年が1つ上だったのが理由で「後藤先輩」とか「洋一先輩」と呼ばれた。彼女たち3人は、周囲の人間をどのように呼ぶか3人の中でルールを作って決めているようだった。とにかく彼女らは仲がよかったし、その仲よしぶりには一点の陰も無かった。そして、中で高島有紀は飛び抜けて目立つ存在だった。とても高校生には見えなかった。アルバイトには学校の制服を着てやって来るが、大人の女性がコスプレで制服を着ているような雰囲気だった。彼女らは学校の関係で化粧にも詳しかったし、よく練習しているから、同世代の女子高生がアイデンティティ獲得の一環としてする化粧などとは明らかに違う、「さりげなく大人っぽく見せる、プロの化粧」だった。そういう彼女に洋一は興味があった。アルバイトのシフトも運に恵まれた様に重なることが多く、休憩時間などよく話をした。