その時、カラカラと音がして、改札の障子が開いた。
「お待たせ致しました。どうぞ、こちらへ……」
その人はすっかり車掌の如き出で立ちで、こちらに向かって小さく敬礼すると、奥へ進むよう促した。僕はいよいよ幻覚を見ているような気になって、けれど、踏みしめる床の感覚や、冷え切った部屋のつめたさが、身体にはっきりとあったので、言われるままに歩みを進めた。
障子の向こうは、存外広いつくりになっていて、白いクロスのかかった四人掛けのテーブルが六つ、几帳面に並んでいた。窓こそは無いものの、それは食堂車によく似ていて、飴色の光源は細長く、天井を這うような車両の電灯を思わせた。
どこに座っても良いというので、僕は一番角側の、やはり壁沿いの席に座った。待合室と同様に、食堂の中も一面がコンクリート張りで、規則正しく並んだ丸いぽち模様は、空に浮かぶ星に見えた。
その壁に、しばらく見とれているうちに、グラスに入った水が運ばれてきた。その人は紺色の制服に、クロスと同じくらい白いエプロンをつけていて、それは糊がしっかりときいた、上質な生地だった。たとえるなら、三ツ星レストランで働くシェフが身に着けているような、汚れとは無縁であろう白い制服。ともかく、エプロンに見惚れてしまったのは初めてで、テーブルにメニューが置かれていないことに気が付いたのは、その人が厨房へ姿を消してしまった後だった。
テーブルにあるのは水一つだというのに、何故だか僕は、何の疑問も抱かなかった。それは空腹でなかったせいもあるが、空間のすべてがしっくりと肌に馴染んでいたために、特に気になることもなかったのだ。
だから僕は、料理が運ばれてきて初めて、ここは食事をする場所なのだと理解した。食堂という概念と、食事をする行為が結びつかなかったといえば、それはとても奇妙なことなのだが、どちらかといえば、僕は電車に乗っている気分で、傍らに修哉が座っているような感覚さえあった。
「こちらはアジフライでございます」
その人は僕の目の前に皿を置き、敬礼する時と同じ手の形で料理を指した。千切りキャベツの上に横たわったフライは、キツネというよりクマに近いような、黒々とした揚げ色をしており、やはりそれは、どこか見覚えのあるものだった。
「だって、魚はしっかり火を通さないと怖いでしょう」
ふいに、妻の声が響いた。僕はハッとして振り返るが、そこにはもちろん、誰もいなかった。
「おとーたん、シュウちゃんのぶんに、レモンかけて」
続いて、修哉の声がした。目の前にあるのは、間違いなく妻の作ったアジフライだった。忘れもしない、あの事故の前日に食卓に並んだ、修哉の大好きなアジフライ――
気が付くと、僕は空っぽの皿を見つめて、ぼうっとしていた。零れ落ちた涙が味を洗い流してしまったのか、口の中には衣の感触だけが残っていて、食べていた時のことは少しも思い出せなかった。
「いかがでしたか」
皿を下げに来たその人が、優しくそう尋ねたが、僕は泣き疲れた子供みたいな、ふてくされたような顔のまま、テーブルを見つめることしかできなかった。
「うちでお出ししているのは、大切な方と最後に食べたお料理なんです。先代が始めたことですが、これがなかなか評判で」