小説

『益荒男の風』牛久松果奈(『雨月物語 蛇性の婬』)

「たぶん……」
 タツオは帰りたくないみたいだった。その時郁子から電話が来た。
 「ねえ、もう返してくれないかしら、あの人」
 タツオは首を横に振っている。
「えっ、もう私の所にはいないわよ」
「嘘つかないでよ。居るの分かっているんだから」
「だって、三日前に出って言ったのよ」
「私ね、今、あんたの家の前にいるの」
 私はびっくりしてドアアイから覗くと、デブデブに太った郁子の姿があった。
 タツオは庭に出てきた青大将の尾っぽを掴んで、ちょいと頼むよとお願いして、乗り移った。
 育子はドアを開けると、地味な中年女性を連れて一緒に部屋に入ってきた。
「この方は霊能者の春さん。お祓いもしてくれるの」
 郁子は私の足先からじろりじろりと頭のてっぺんを見て、
「幽霊と、どんなエッチを楽しむの?全然、帰ってこなくて、寂しかったのよ。タツオに一体どんなあざとさで、夢中にしたのよ」
「知らないわよ、私には幽霊なんか見えないもの。あんた馬鹿なんじゃない」 
 霊能者はさっそく目を閉じると、「蛇になって逃げまわっているのが見える」と言って拝みだした。幽霊と恋愛していたおかげで、庭の草は伸び放題になっていた。蛇がにょろにょろと這い出てきた。霊能者はタツオが出てきたことが分かると、お祓いというよりも独特の口調で、郁子の所に戻るように説得した。タツオは仕方なく郁子の中に入った。
「もう、戻って来るなよ」
 私は自分でもびっくりするくらいの声を出していた。

 もうタツオなんか戻ってこなくてもいい……と思っても寂しくなった。一週間も耳に風を感じなくなって、気が狂いそうだった。今頃、郁子の耳に甘い風を吹きかけていると思うと、許せなくなった。また、郁子の旦那の身体に入り込んで、抱かれている姿も許せなかった。私はタツオを取り返すべく算段を練り、想念を飛ばす練習をした。毎日やっているうちに、私の想念は、郁子の元へと蛇とカエルが運んでくれた。
 今日は蛇の花子が協力してくれた。郁子の寝室に入り込み、郁子の旦那の足に蛇体を、激しく巻き付け、「戻ってきて、戻ってきて」と執念まっしぐらに訴えた。途端に激しく咳き込むと、郁子の旦那の口からタツオは出ていき、私の耳元に風を吹きかけてくれた。
「この世は欲望と、嫉妬とで、地獄と変わらないよ。俺、やっぱり帰るな」
「待って、もう一度だけ、あなたを感じたいの」
 タツオはまた風を吹きかけて
「お前のこと結構好きだった」と言った。

 お盆ではないけれど、味噌汁に入れるはずの茄子で牛を作った。
 お線香をあげ、あっちに帰れるように心を込めて、祈った。短い間ではあったが愛してくれたし、私も愛した。私という一つの魂を愛してくれたんだ。私はもう主人にパンチなんてしない。だって、大人しくなって、ずいぶん変わったのだ。タツオのおかげで私は絹ごし豆腐から、木綿豆腐に昇格できた。

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