もがくうちに、幾度か水面から顔を出すことができた。慌てて息をするが、同時に海水も飲み込んでしまい、むせながらまた沈んでいく。そんなことを繰り返していると、ふいに足首を掴まれ、ぐいっと強く引かれた。
あの手だ。あの手が現れたのだ。すぐにそう思った。このまま海の底まで引きずり込まれるのだと思ったら、抗う気力も失った。
ついには両足首を掴まれ、力を抜いた体はぐいぐいと引かれていった。ちらりと白い手が見えたような気がしたが、ほどなくして私は意識を失った。
気付けば病室だった。
あのあと、都会から旅行に来ていた青年が通りかかり、助けてくれたのだと聞かされた。幸い入院もせずに帰宅できた私は、翌日の卒業式に出席したその足で、両親と共に青年が宿泊している小さなホテルへ向かった。
「昨日は本当にありがとうございました。おかげさまでこうして無事中学を卒業できました」
頭を下げる両親の前で、青年はさらに深く頭を下げた。
「卒業式でしたか。おめでとうございます。いやあ、僕はなにも。浅瀬で倒れているのを見つけたので引き上げただけですよ」
照れてしきりに髪をかきあげる腕は、都会の人らしく白く滑らかだった。意識を失う直前に見た白い手はやはり彼のものだろうと思った。
本土に渡った私は、たびたび青年と会った。私の高校と彼の大学は同じ鉄道路線だったこともあり、その頻度は増えていった。
彼が社会人、私が大学生になると交際が始まった。私は彼と手を繋ぐのが好きだった。彼の白い手を握っていると安心した。
やがて結婚することになり、今日はその報告のため島へ帰ってきたところだ。父と共に飲みつぶれ眠ってしまった彼を置いて、私はひとり岬へとやってきたのだった。
風が歌う。岩や崖に吹き付ける風音が歌う。泣くような女声。言葉にならないスキャット。懐かしいこの歌。共に歌うと、波間から白い手が次々と伸ばされ、花のように揺れる。
あの日、私の足を掴み、波打ち際まで引いてくれたのは彼ではない。なぜなら、彼は泳げないからだ。私はそのことを彼と交際して間もなく知った。打ち上げられている私を見つけ、応急処置を施し、救急車を呼び、病院まで運んでくれたのは彼だ。私が助かったのは間違いなく彼のおかげだ。けれども、あの深い海の中で救ってくれたのは。
「あれえ! あんた、網元んとこの!」