小説

『爺捨山』鹿目勘六(『楢山節考』)

 しかし彼のグループの部員は、神経をすり減らすような業務に精神を蝕まれている人が多かった。まず一人の部員が、仕事に耐えられなくなり病院へ行き、そのまま出社不能になった。その補充を上長へ懇請したが、叶えられることは無かった。結局病欠者の穴は、サブリーダーの豊と残された四人で埋めざるを得なかった。サブリーダと言ってもプレイングマネジャーで、自分でも開発業務を分掌しながら業務全体を総括するのである。そうでなくとも過大な業務に更に病欠者の業務が圧し掛かって来た。当然、毎日夜遅くまで残業をして、家に仕事を持ち帰ることもあった。休日出勤も当たり前であった。
 そんな時、部下の一人が、勤務中に姿が見えなくなり、少し離れた路上で車にはねられて即死する事故が発生した。単なる交通事故と思えたが、即死した部員の両親は、違法な過剰労働が精神の混乱を招いてもたらされた過労死、労働基準法を無視した違法な労災だと訴え出たのだ。
 その日から豊は、労働基準局の立入検査や連日の事情聴取で、本来の業務に当たることが不可能となってしまった。システム開発の納期と業務スケジュールを考えると豊の精神も限界にまで追い詰められて行った。ここに至って会社も、全社的なバックアップ体制を構築せざるを得なくなった。
 しかし労働基準局の究明は、今回の事案だけに止まらなかった。その背景にある会社の遵法意識と労働管理の実態、経営層の関与にまで切り込んで糾弾して行く。
 すると会社全体で、業務に追われて無制限とも言える時間外勤務が公然と行われ、その背景には経営層や中間管理層が、納期確保を現場に厳命している実態が、暴かれていった。そういう意味で豊も哀れな被害者だったが、直接の部下を死なせてしまったと言う慙愧の念に堪えられなかった。そして、会社に辞表を提出した。
 それから自室に引き閉じこもるようになり、外出するのは病院だけとなった。
 豊は、三十二歳。これから会社での立場をステップアップし、良い結婚相手を見つけて、義男と康子夫婦の下から飛び立って行くものと信じていただけに、突然の成り行きに戸惑うばかりだった。娘の由香里が、二年前に結婚をして家を出て行った後でもあり、息子が哀れであった。 
 それ以来、早や七年。豊は、自分の部屋から出て来ることは殆ど無くなってしまった。亡くなった妻を安心させるためにも息子を自分の足で再び社会で生きてゆけるようにしなければ、と思いながらも、義男は現職の内にその夢を叶えること出来なかった。

 故郷から帰って来た義男は、思い切って豊の部屋のドァを叩いた。そして故郷に戻り、実家と墓を守りたいとの決心を伝えた。
豊は、静かに「そうか」とだけ言った。
義男は、肩透かしを食らった思いだった。
「お前は、ここに居て良いんだよ。俺が居なくなっても、豊は前を向いて進んでくれ」
「父さんが行くときは、手伝ってやるよ。僕も子供の頃は、良く連れて行ってもらった懐かしい所だからね」
息子は父を悦ばすようなことを言った。

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