小説

『祖父、帰る』斉藤高谷(『浦島太郎』)

 居間に戻ると、祖父はキョロキョロ辺りを見回していた。
「変わらねえな、この家は。全然新しくしてねえのか」
「少なくとも俺が生まれてからはこのままです」
「すると、そっちは俺の部屋か」祖父は立ち上がろうとする。
 彼が〈そっち〉と言ったのが仏間だった。俺は後ろ手で襖を閉める。理由を上手く言えないが、祖父に仏壇を見せるべきではないという心が働いた。
「ここは今、物置なんで。物とか倒れてきて危ないんで」
「なんだ、そうか」祖父は座布団に戻る。「ところでお前は高校なんか行ってなに勉強してんだ? 卒業したら昭三の船に乗るんだろ?」
「乗りませんよ、そんなの」ここ数ヶ月の押し問答を思い出しながら、俺は言う。「漁師になんかなりません。東京行って写真の勉強するんです」
「は、写真? 写真館でも開く気か?」
「カメラマンになるんですよ。風景撮ったり、動物撮ったりするような」
「へえ。昭三はそれでいいってか」
 俺は黙って頷く。嘘をつく。親父とはこの数ヶ月間、進路についての話し合いは平行線のままだ。
「あの」話題を逸らそうと、俺は言う。「あなたは今までどこにいたんですか?」
「俺か?」二杯目の麦茶も飲み干し、祖父は言う。「俺はな、竜宮城にいたんだ」
「竜宮城……」繰り返してみるが、頭の整理は上手くつかない。〈コイツ何言ってんだ頭おかしいんじゃないか〉と切り捨てることすらできない。失踪したといわれている祖父と全く同じ顔をし、そう名乗っているものだから、あながち突拍子もない話ではないように思えるのだ。「……それは何かの比喩ですか?」
「比喩じゃねーよ。そのまま。ホントに竜宮城だよ。漁の途中で怪我したウミガメ助けたら、連れてかれたんだ」
「大型の海洋生物によって海へ引きずり込まれたわけですね」
「バカ、違ーよ。〈来ませんか〉っていうから、〈じゃあ少しだけなら〉ってついてったんだよ。それがまさか、こんなに時間が経ってるとは思わなかったんだって。あーと、三十年だっけ?」
「六十年ですね」
「俺は何度も帰ろうとしたんだよ」祖父の口調が愚痴っぽくなる。「だけど乙姫が引き留めるからよ。つい帰りそびれちまって、今日ようやく出てきたってわけ」
「美人だったんですか、その人?」
「ババババカ、違ーよ!」祖父はコップを口に充て、それが空だと気付いて戻す。「踊りがすごかったんだよ、タイとかヒラメの。ホントにスゲえんだぞ」
「で、その箱もらったんですか」俺は祖父の横に置かれた発泡スチロールを見ながら言う。「もしかして、〈絶対に開けるな〉って言われたんですか?」

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