小説

『ミナコさんの思い出』明里燈(『人魚姫』)

真冬がぼそっと言った。私たちの中では、かばんとひいばあはセットだった。きっとその場のだれもが同じように思っていたにちがいない。
「おばあちゃん、大事なかばん、そっちに持っていってね」
私たちの祖母が母親であるひいばあに向かって囁いた。
私は、急に人が死ぬということがわかった気がした。
それは、消えるということだった。ひいばあと長い歳月をすごしたかばんが棺桶に入れられたことが、何よりの衝撃だった。
私は隣に立つ真冬の手をつかんだ。真冬は静かに私の手を握り返して、同じようにひいばあのほうを見つめていた。もしも、このときひいばあだけで棺桶に入ったなら、私は死が何ものなのか感じなかったと思う。
白い菊を渡されて親戚の者たちが輪を作り、今度こそ最後のお別れだと言って一本ずつひいばあの棺桶に添えた。ひいばあの顔は穏やかだった。棺桶のふたが閉まり、いよいよ火葬するというときになった。
私は真冬の腕をつかんだまま、目を伏せていた。誰かがしくしくと泣く声が聞こえてきた。生前、ひいばあと親しかった人だろう。最後のお経が上げられ、しばらくしたときだった。お経を引き裂くように突然甲高い悲鳴のような声があたりに響いた。驚いて顔を上げるとミナコさんが激しく、泣き叫びながらひいばあの棺桶に駆け寄ろうとするところだった。慌てて親戚のおばさんやおじさんがミナコさんを取り押さえる。私はそのとき、ミナコさんの昨日の言葉はうそだったのだと思った。望まれた死などない。私は私でひいばあのかばんがひいばあとともに焼かれて消えてしまうことが怖かった。消える。それが死なのだった。
ミナコさんがこの世からいなくなったのはそれから2週間後だった。

 
ミナコさんのお葬式のあと、私は手と足の爪を母のマニキュアで真っ赤に染めた。
けれど、ミナコさんのように美しくもかわいくもなかった。私の選んだ色は朱色のような赤で、濡れた血のように生々しい艶をそこらじゅうに放った。
赤い爪は何をするにも目立つので気が散って仕方がなかった。プールで泳ぐのにも、テニスのラケットを握るのも、シャープペンシルをにぎるのも指先に目がいってしまう。

私と真冬はその夜、学校のプールに忍び込んだ。真冬は飛びこみを遠慮して音をたてずにプールに入った。私は夜のプールサイドで服も脱がずに腰掛けていた。ひざ下が水に触れ、水の生ぬるさを感じた。
毎日塗りなおしている足の指先が水の奥で血のようにぬめっと反射した。 
ふいに、ミナコさんの声が聞こえた気がした。
 私の赤い爪をかんだら、一年は寿命がのびたのよ。
私は思いを込めて、水に飛び込んだ。

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