「あのさ……園ちゃんは、出てきた?」
「ん? 出てきたって?」
「学校だよ、学校。それ以外ないだろよ」
「あーなるほどね、ごめんごめん」
うんうん、と飛田は頷き、そのまま何も言わずにまた黙る。沈黙する二人を見て、オサムは園ちゃんが学校に来ていないのだと察する。
「そうか来てないか……」
「そりゃこれないよ。あんなことあったら」
と、小菅が言い、飛田がまたうんうんと頷く。
三人は黙った。重苦しい空気が流れた。オサムの頭の中に、園ちゃんの絶望した顔が思い起こされる。園ちゃんはオサムよりも長く、一カ月も前から学校を休んでいる。
あの日事件は、昼休みに起きた。オサムたち三人がトイレにいるときだった。オサムがいきなり大きな声で、
「飛田、小菅、お前ら大のトイレに入れ。良いっていうまで出てくるなよ」と騒ぎ出す。
えーなんでだよ、と言う飛田と小菅をよそに、オサムがしー、と人差し指を口元にあて、静かにするよう促した。それでいつものオサムの悪戯が始まるのだと分かると、飛田と小菅はにやにや笑って言うことに従った。そこへたまたまやってきたのが園ちゃんだった。元から園ちゃんを狙っていたわけではないが、たまたま通りかかったのが園ちゃんだった。
園ちゃんがトイレに入ってくるなり、オサムが一芝居を打つ。
「おーい、早く出てきてくれ! 漏れちゃうよ!」
オサムはもじもじ足を動かしながら、今にも漏れてしまいそうな声で嘆いた。嘆きながら、横目で園ちゃんの顔を確認する。呆然とした顔で立ち竦む園ちゃんに、オサムは成功したと思う。実は三人のこの悪戯は、この日が初めてじゃなかった。三人のせいで、本当にトイレに行きたい人がトイレに行けなくなる。そのときに困る顔を見るのがオサムの狙いだったのである。トイレが埋まっていることに絶望した生徒は、少し待ってから諦めて他のトイレを探しに行く。どうやらこれが楽しいらしい。オサムはこのとき園ちゃんの苦悶の表情を見て、今までで一番良いリアクションだと思った。内心で笑いが止まらない思いだったが、笑ってばれると作戦は水の泡になるので我慢して、自分も精一杯の苦悶の表情で園ちゃんに話しかけた。
「ダメだ、もう五分も待ってるのに、全然出てこないんだよ」
オサムが言うと、園ちゃんの強張っていた顔が、より醜く歪んだ。オサムの声かけに返事をすることもなかった。園ちゃんの顔は、何か脳の機能が一部停止してしまったかのような、今まで見たこともない表情で、ぞっとしてしまうものだった。思わずオサムは黙り、演技をすることも忘れていた。園ちゃんは力が抜けたように肩を落とし、とぼとぼと歩いて出て行った。園ちゃんの後ろ姿を見届けた後、オサムは飛田と小菅のトイレのドアをノックした。中から出てきた二人に、どうだった、と声をかけられて、オサムはいつもみたいに上手く笑い顔を作ることができず、引き攣った笑いを見せ、
「あ、ああ。ありゃ傑作さ、見たことないくらい絶望してた」と、なんだか歯切れが悪く報告した。
三人がトイレから戻ると、教室は大騒ぎになっていた。何事かと思って近くにいる生徒に飛田が訊けば、「園ちゃんが漏らしたぞ」と言って、くくく、と笑う。
「おいおいそりゃ本当かよ」と飛田と小菅はその生徒につられて興奮した声を上げたが、オサムは背筋が凍るような感覚だった。取り返しのつかないことをしてしまったと思った。まさか漏らすまでの事態になるなんて、オサムはまったく想像していなかった。園ちゃんの失意の顔が思い返される。