小説

『イナバ君』御崎光(『不思議の国のアリス』)

 同窓会会場での噂の発信源は、またしてもショウヘイだった。ショウヘイとは高校卒業以来顔を合わせていなかったのに、不思議と違和感がなかった。天真爛漫な印象は変わらない。「俺、聞いたんだよ。お袋から。カトウさんのところの長男が女装してショーパブで踊ってるらしいって。どうやらアリスって名乗ってるらしいんだ。俺、イナバとか勝手にあだ名付けたりしてたし、学芸会の時も兎の役押し付けたし…色々傷つけたかなって反省するんだ。あの年頃ってナイーブだからさ…。」そうだ、イナバ君の本名はカトウだった。「ガキの頃はそこまで考えなかったんだよ。アホな小学生だったからさあ、俺。」うな垂れるショウヘイに「ホント、あんた浅はかすぎるのよ。」とユミコは一撃を加える。ショウヘイは小学校の教師をしている。子ども達と接する中で、昔の自分を振り返ることが多いらしい。「イナバ君、本当はアリス役がやりたかったってこと?だから今はアリスって名乗ってるとか?それってだいぶ根に持ってるってことじゃない?」とユミコが推理する。「マイちゃんは、あの時どう思ってた?イナバ君のこと。」ショウヘイが私に発言を求めた。久しぶりに男性に「マイちゃん」なんて呼ばれてドキッとした。「どうって…。イナバ君って、すごく繊細で気が遣える子なんだなって思った。アリスの衣装をね、私に似合うだろうからってわざわざレモンイエローにしてくれて…。」「そうなの?プロのデザイナーみたいじゃない!その頃から女性的なところもあったのかもねえ。ショウヘイみたいな能天気な男子とは大違い。」ユミコのショウヘイに対する手厳しさは続く。「なあ、イナバ君のショー、3人で見に行ってみないか?真相を確認してみようよ。俺は謝りたいこともいっぱいあるし。」「うん…そうね。3人で推測していても仕方がないわ。マイちゃんは?もちろん行くわよね?」「え…あ、うん。私も行く。」またしてもユミコに押し切られてしまった。しかし、今回は流されて返事をしたわけでもなかった。私も今のイナバ君に会いたい、今どんな思いで生きているのか知りたい。イナバ君は私の「守り神」。幸運を運んでくれる存在のような気がするのだ。それにしても、いつから私は他力本願な人間になったのだろう。かつての「勇気ある女の子」はすっかり影を潜めてしまっている。
 数日後、私たち3人はイナバ君が出演しているらしいショーパブのある繁華街で待ち合わせた。ユミコは「元旦那に連れられて、他の店のショーは見たことがある。」ということだったが、私とショウヘイは初体験だった。特にショウヘイはイナバ君への罪悪感も募っており、顔がこわばっていた。自然と口数も減ってきている。「よし、いくぞ。」とショウヘイがひとりごとのような掛け声と共に店の扉を開けると、赤い壁紙に彩られた店内がシャンデリアに照らされていた。スタッフへ案内されさらに奥へと進んでいくと、ステージが見えた。イナバ君出演のショーは5分後だ。席へ着き開演を待つ。「イナバ君の顔、分かるかな?だって女性なわけでしょう?」「入口に貼ってあった顔写真、見ておけばよかったね。」ユミコと私がぼそぼそと会話をしていると、突然BGMが爆音へと変わった。眩いスポットライトの中に登場した、煌びやかな衣装をまとった金髪ロングヘアの女性。「アリスー!」と観客からの掛け声。そこにはぽっちゃりとした色白のイナバ君の影は無い。音楽に合わせ軽やかにステップを踏み舞い踊る、妖艶なアリスがいた。たたみかけるように放たれるレーザーライトの中、激しいビートに合わせ次々と繰り広げられるパフォーマンス。高揚感に包まれたひととき。私たちは瞬きも忘れるほど夢中になり、魅了されていた。

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