小説

『君という銀貨』小山ラム子(『星の銀貨』)

「どこまで掃除した?」
 気がついたらわたしは掃除用具の入っているロッカーを開けていた。星野はポカンとした顔でわたしを見つめている。言われた意味が分からないのだろうか。
「机はやったんだよね? モップかけた? それとも黒板拭いたほうがいい?」
「な、なんでそんなこと聞くの?」
 ここまで言っても分からないのか。どれだけパシリ根性が身についているんだこの女は。
「手伝うよ。筆箱のお礼」
 黒板が見るからに掃除してなさそうなのでバケツと雑巾を持ち上げる。
「い、いいよ! 悪いし!」
「だからお礼だって言ってるじゃん」
「筆箱見つけたのが? そのくらいいいよ! なんの負担にもなってないし!」
「わたしだって黒板拭くくらいなんの負担にもならないけど」
「でも鈴岡さんの大事な時間つかわせちゃうことになる!」
「あんただって大事な時間つかってんじゃん」
「わ、わたしは好きでやってるから!」
「じゃあわたしも好きにやらせてもらう」
 出入り口で通せんぼしていた星野を無理やりどかして廊下に出る。バケツに水をいれてから地学室に戻ると、星野は窓拭きをしていた。おいおい、そんな場所大掃除でやるとこだろ。どれだけ掃除に時間つかってるんだ。
「あ、鈴岡さん! あの、本当にいいの?」
「だからいいって言ってんじゃん。黒板やったらわたしも窓手伝うよ」
 こうなったら気が済むまで付き合ってやろう。雑巾をしぼっていたわたしの背中に、星野が小さな声で「ありがとう」と言った。こいつが誰かにお礼を言うのを初めて聞いた気がする。ああそうだよな。だってこいつはいつもやる側だ。お礼を言われる側だ。そのお礼すら最近は言われなくなっている気がするが。
 家に帰ってから宿題をしようとカバンから教科書を取り出す。その拍子にスマートフォンが床に転がった。わたしはスマートフォンを見るのが嫌いだ。どうでもいいメッセージのやり取りに辟易するからだ。チカチカと光っているので何かしら受信しているみたいだ。いつもだったらシカトして、寝るちょっと前くらいに確認するが今日は画面を開いてみた。そこには予想通り星野からのメッセージが届いていた。
 掃除の後に、わたしから連絡先を聞いたのだ。星野はわたしがロッカーを開けたとき以上に驚いた顔をしながらも、とても嬉しそうにわたしに連絡先を教えてくれた。
『今日は本当にありがとう。嬉しかった』
 その真っ直ぐなメッセージに思わず笑みがこぼれる。でもそれと同時に痛みに似た何かも胸の中に感じていた。

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