小説

『彼女が僕を縛ったら』むう(『浦島太郎』)

 道端を奇妙なものが歩いていた。
「亀だ」
 東京郊外の住宅街。都心まで一時間もかからないで電車で行ける。騒がしくなく、静かすぎることもなく、ほどほどに田舎でほどほどに都会。
 僕はこんな街でほどほどの人生を送っている。ほどほどの大学に通い、ほどほどに勉強して、ほどほどに遊んで、ほどほどにバイトしながら、未来に繋がる大事な何かを探してるふりをしながら。

 その亀は、ただの亀じゃなかった。赤い紐で甲羅を亀甲縛りされている。亀だけに亀甲? 悪い冗談みたいだ。これはペット虐待では?
 僕が近づくと、亀はピタリと止まった。警戒してるのだろうか?しゃがみこんで良く見てみる。でかいな。海外のアニメに出てきそうな亀だ。どこかの家から逃げ出したのかもしれない。触ったら噛み付くだろうか。亀の落とし物の場合はどこに届けるんだっけ?
「太郎」
 後ろから声が聞こえ振り返ると、肩ぐらいまでの黒い髪に、大きな目をした色白の女の子(女の人かな)が、右手にほうれん草を持って立っていた。着物柄みたいな花模様の黒いワンピースを着て、大きめの白いカーディガンを羽織ってる。スカートから細い脚がすらりと生えてて、ちょっと前に人気だったアイドルグループにいそうな容姿だ。
 多分、太郎だと思われる亀はゆっくりと、その女の子に向かって歩いていく。女の子が僕に視線を合わせた。合わせたまま、外さない。僕はドキドキしてなんか言わなくちゃ、と焦った。
「か、亀って、名前呼ぶと来るんだ?」
 いけない。変に高い声が出ちゃったし、なんか間抜けな第一声だ。しかも女の子は答えない。スッと視線を外し、でも僕の近くで同じ様にしゃがみこんで、亀にほうれん草を食べさせている。気まずい空気が流れる。
「その亀、君のペット?良くなついてるね」
(頼む、喋ってくれよ!)
「なつかないよ」
(あ、喋った)
「餌があるから寄ってきただけだよ」
「そ…なんだ。あ、亀ってほうれん草食べるんだね」
「これ、小松菜」
「あ、ああ…」
 少しの沈黙があって、女の子は亀をよっこいしょ、と抱えると立ち上がった。僕はなんだか釣られるように、一緒に立ち上がり女の子の後をついていった。すぐ側の平屋の小さな家の前に立つと、女の子は振り返った。
「何?」
「え?あ、それ、亀」
 女の子は、僕が何か言うのを待っている。
「えっと、何で縛られてんの?」
 僕は急いで質問した。

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