小説

空蟬の街』広瀬厚氏(『幻影の都市』)

「あれっ、純也さん?」
 通りに面した焼鳥屋から出てきた数人のなかのひとりが、歩いてきた彼を見つけ言った。彼もそれに気づき返した。
「なんだ涼じゃないか。久しぶりだな」
「お久しぶりです。ひとりですか」
「ああ、ひとりで飲みにきた」
「僕も一緒に行っていいですか」
「いいけど仲間はいいのか」
「じゃあ俺はここで」と涼は仲間と別れ、彼とふたり歩き出し、少し行ったところで薄汚れた居酒屋の暖簾をくぐった。
 涼は彼の地元の後輩で、彼を追うように出てきたこの街で、出会った仲間とバンド活動をしている。先ほどまでその仲間たちと練習スタジオの帰り、反省会と称して飲んでいた。
 実は昔、彼は地元ではちょっとしたロックスターで、後輩たちから結構な崇拝を集めていた。しかしよくある話、都会に出てみるとそんなちっぽけな才能は雑踏に埋もれ姿を消し、すっかりやる気を失った彼は、これと言った目的もなくただダラダラと自堕落な毎日を送るようになった。
 居酒屋のなかでは草臥れた中年男性が、うつむき加減にグラスを手に取る姿が目についた。若い躍動を感じる影は寸も見えない。そこにほんのわずかではあるが、涼が精彩をそえたふうである。彼と言えばまだ二十代であるにも関わらず、草臥れた部類とまったくに同様であった。
「バンドはうまくいってるのか」
「まあまずまずですかね。純也さんはもうやらないんですか」
「そうだな気力がわかないからな。最近はたまにだけど文章なんかを書いたりしてる」
「へえ、すごいじゃないですか。で文章と言うと…… 」
「うん… くだらねえ小説だとか」
 あまり会話は盛り上がらずに、小一時間ほどしてふたりは店を出た。別れぎわ涼は彼に、近ごろ素敵な女性にめぐりあった、と嬉しそうに語った。
 相変わらず街にはなまぬるい風が吹き、彼の酔いをひどく淀んだものにした。彼はまたひとりブツブツ愚痴を吐きながらアパートの虚しい部屋へと帰った。そして部屋のなかタブレット端末を両手にごろりと寝ころんだ。

 彼はあり金が底をつきそうになったので、仕方なしに久しぶりに仕事をした。仕事は完全に違法な裏の仕事で、下手を打てばすぐにニュースとなって、その名と顔を世間にさらす事となる。けれども彼は、ちまちま働く事に堪えれず、リスクを承知でヤバイ仕事に手をだす。今回の仕事はことさらヤバイものであった。そのおかげと言っちゃなんだが、かなりまとまった金が彼のふところに入った。これでまた当分の間働かずして自堕落な生活を送る事ができる。
 彼は自分の将来に目をそむけ、電子タバコをくわえ仰向けざまにタブレット端末を両手に持って、のんべんだらりとネットの世界に遊ぶ。
 昼を過ぎてやっと目を覚ました彼は、気だるく上半身をベッドから起こし、大きなあくびを一発かましてから両手を上に伸びをした。アルコールが抜けず、頭はガンガン響き、胸糞悪く吐気がする。彼はベッドから降り、ちっぽけなシンクについた蛇口の栓を開け、そこから直接ガブガブと水を飲んだ。それからまたベッドにごろり寝転んだ。

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