小説

『恋愛孫子』太田純平(『孫子』)

「自信の無い人間が告白したってダメダメ。そうだ、お前にいいもんやるよ」
「いいもん?」
「ちょっと、中入れ」
 そう言って私は、恋に悩める少年を自宅へ招き入れた。人間嫌いの私がガキンチョを家に入れるなんて、よほど雪野さんを見て幸せな気持ちになったらしい。
 私の部屋は六畳一間の和室。東洋史関連の書籍やら論文やらで散らかり、坂口安吾の居室よりちょっとマシなくらいだ。私は机の上から小冊子を拾い上げて、少年に差し出した。
「これ」
「なぁにこれ」
「それは『恋愛孫子』だ」
「レンアイソンシ?」
「簡単に言うと、恋愛の説明書みたいなもんだ」
「恋愛に説明書があるの?」
「ある。俺が作った」
「読んだら恋が叶う?」
「それはお前次第だ」
「もらっていいの?」
「ああ。やる」
「ありがとう。帰ったらお母さんに読んでもらおっと」
「待て。お母さんはやめなさい」
「えぇ? どうして?」
「作った俺が恥ずかしい。それにだいいち、お母さんにその子との恋愛について知られたら嫌だろう?」
「まぁ……そうだけど……」
「お母さんには黙って、こっそり一人で読め。分からない漢字があったら辞書で引く。分かったか?」
「うん! 分かった!」
 私はやはり、自分の家に他人が居るのが許せない性質らしい。私を少年の背中を押して、追い立てるように玄関に向かわせた。
「ねーねー」
「なんだよ」
「また来ていい?」
「ダメ」
私は少年を帰した後、雪野さんと出会ってからここ数日の間に編んだ『恋愛孫子』について思い返していた。寝食を忘れて作ったあれは、我ながら現代の恋愛戦術について書き綴った最高傑作である。論文のように長々と書いてはみたが、全十三章を要約すれば、以下のようなものである。

 ×   ×   ×

「1、計篇。そもそも恋なんてするな」
「2、作戦篇。恋愛は国家の陰謀である」
「3、謀攻篇。『告白したら負けかな』と思え」
「4、形篇。まずメンタルを強化しろ」
「5、勢篇。恋愛に勢いなどない」
「6、虚実篇。自分よりも相手に告らせろ」
「7、軍争篇。待ち合わせ場所は基本的に監視されている」
「8、九変篇。まずフラれた時の事を想像してみろ」
「9、行軍篇。終電を逃してあたふたするくらいなら、最初から逃すな」
「10、地形篇。海でのデートは意外とやる事が無い」
「11、九地篇。山も同じ」
「12、火攻篇。フラれても放火はするな」
「13、用間篇。最悪スパイを使え」

×   ×   ×

 ベースはもちろん、孫武の編んだ『孫子』である。いかに戦争を回避するか、いかに戦争は国家を疲弊させるか、いかに戦わずして勝つか――『孫子』に書かれたこれらの教訓は、まるまる、恋愛に当てはめる事が出来る。
そう。戦わずして勝つ。戦争においても恋愛においても、これが最善の策なのだ。
 私はあの少年にも無謀な恋などせず、時には戦わない事、逃げる事が最善なんだという事を知ってほしい。これが私なりの、あの少年への教育である。

 

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